じゃがいも

朝から嬉しいお客様。

PDSD(心的障害)という不可解な病に職も辞し
長く苦しみ(無理解の苦しみという副産物付きの病)続け
病に屈することなく
持ち前の頑張りで克服された。

その途上で念珠と出会い、当店と出会った。

「お蔭様で」

と、いらっしゃるたびに、感謝の辞をいただくが
それは、ご本人の粘り強さに他ならない。
(ちょっとお手伝いできて嬉しいとは思う)

「家で作ったんだよ」
と、浅黒く、見るからに日の下で焼けたのであろう、
健康的な顔に笑みがこぼれていた。
「ホー!」お芋だ。


これまた元気そうな土付きじゃがいも。

出合った頃の姿とクロスオーバーして胸が熱くなった。

思うと自分も
小学校5年の頃、無理解の中にいた。

判で押したように、4時間目の授業が始まると
決まって猛烈な苦しさに襲われた。

「すいません。気持ちが悪いんで、保健室行っていいですか」
恐る恐る手を上げると
「またか」の表情だけで全てが伝わってきた。

クラス全員の奇異と同情の眼に送られて、
保健室で天井見ながら泣いていた。

「何でこうなんだろう…」

そのくせ、昼休みになるとケロって直っている。
そのまま病人らしくしていれば、
幾ばくかの友人には、
同情し続けててもらえるであろう悪知恵は、
当時は、まったくなかった。

人一倍給食を食い、昼休みには走り回っていた。
「どこが病人なんだ」しごく当然の思い、
誰の眼にも映っただろう。

しかし、
来る日も、「先生、すいません」が続くのである。

「理解して」と願うことに無理がある。

そのうち、クラス中から揶揄されるようになった。
あとは、どうなってしまったのか、よく覚えていない。

PDSDを知ったのは、
40年経って、
図太いオヤジになった、今頃なのだ。
特効薬もあるという。

けれど、まだ無理解の土壌があるかと思うと
やりきれない思いも、あるにはある。

“じゃがいも” への0件の返信

  1. だから子供の頃は、いじめられっ子だったの。

    無理をして自閉の殻を自ら打ち破ろうとすると、体が動かなくなる。
    現在進行形で薬のお世話になっています。
    それでなんとか普通の人の仲間入りをはたしている。

    あ~、ついでに閉所恐怖症です。
    で、トイレのドアはいつも開けっ放しで用をたす。
    我が家で用をたすときはいいのですが、他家に行ったときに癖が出るのがチト困る。

  2. 今でこそ市民権を得た感がありますが、ストレスからくる心の作用は、人知れない孤独の闘いですから、無理解と言う壁は高かったですね。

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