なぜオーダーのお店になったの

おかげさまで、
「オーダーの念珠堂」として覚えてくださる方が
確実に増えている。

「浅草念珠堂(実店舗は念珠堂)なら、
細かいオーダーに応えてくれるみたいだよ」

「そういう細かいことは(変わったことは)あそこ行けばいいよ」
と、同業者からも推薦を得て、ネットはもちろん、
実店舗の店にも、遠くは、広島や九州、青森のほうから、
尋ねてきてくださる。

浅草で下車されれば目の前なのに
どういうわけか、上野から歩いてこられる方も少なくない。
1キロも2キロもあるというのに、

他のお店をリサーチされながら、歩いてこられるんだろうが
申し訳ない思いにさせられる。

上野からここ雷門までには、60軒も同業者がひしめく
仏壇のメッカなのだ。歩いてきても飽きることはない。
(自分も何度お客の顔をして、往復したかわからない。)

念珠堂をオーダーの店に、特化しようとは、
もともと思ってはいなかった。

なのに何でオーダーの店に…

細かい仕事は、確かに好きだけれど…
出来たものを、販売させていただいたほうが、数倍楽なのに。

思い当たることは、ひとつある。
「自分が納得出来なければ、先に進めない」という偏屈さだ。

だから、
「自分が楽しめないものは、人にも勧めたくない」
となってしまう。

「納得しない以上、納得したものを作るしかない」
となる。当たり前のことなのだ。

当たり前と考ええているところが、すでに偏屈なのかもしれない。

我ながら、この頑固、辟易するときもある。
けれど、決して嫌いではない。

使い方によって、コントロール次第で、
お客様の側に(少しだけ)、
近くに立つことが出来ると、信じているからだ。

原発ならぬ、「頑固」の臨界点を超えぬよう
日々、努めている。

早く自動制御に切り替えないととも思う。

ことばはいらない

お店は、すっかりお盆でしょ(実はこの一部だけなのだが)。


「藤の花…この時期もう遅いんじゃないの?」
なんて声も巷にはあるのだけれど、
僕が好きなのだ。
吊提灯となぜか相性が良くて、手放せないのである。

ノロノロと提灯仕様のディスプレーにしないものだから
いまひとつ、気持ちが、ぱっとしない。

「そろそろ性根を入れるか」
と、決意とも叱咤とも言える声を、自分に投げかけたとたんに
大きい提灯が、外人さんに売れた。

アメリカの方かな?
たいそう喜ばれていた。
でも何に使うのだろう。

「ハーイ。アメリカノ人。ナンニツッカワレルンデスカー」
そう聞きたかったが、

異文化交流は、お金の価値を
語り合うくらいしか出来ないから、この次にとっておくことにしよう。

今日は、ご来店の半分以上のお客様が外国人だった。
あえて外国人と表記したのは

アメリカ人、中国人(台湾系、大陸系)、フランス人、
韓国人、インド人、スパニッシュ系…多いこと。
おお、
八紘一宇。人類皆兄弟
世界平和の道ここにありだ。
言葉が通じていないのに、
お互い笑いあう。

疲れていたのに、なんでかな、楽しくなった。

リアル散華、よき驚き

なんてきれいなんだろう!

花の名前は、本当に覚えられない。
こまったものだ。
さっぱりだ。

昔、高山植物が好きで、山に入ったときも、
図鑑は手放せなかった。
けれど、「きれい」で良いような気になってしまったら
それ以降、全然、まったく、どうしようもなく、
記憶に残らなくなってしまった。

なんでこんなにスゴイ配色が生まれるのだろう。
神様の絵の具箱は、スゴイの一言だ。
念珠のデザインを考えるとき
色の組み合わせを
自然界に、そのモチーフとなるものが、ないかとよく探す。

緑の芽が日を浴びて花を咲かせると
想像もできないピンクであったり
紫であったり、黄色であったり、
それが枯れて茶色に変わり土に還る。
この配色の大胆さや形状の自由さに驚く。

自然界は、良き師としか言いようがない。

なかなか売れないけれど
散華(さんげ)がある。
それもリアル散華。
お寺の法要のときに使う。
法要の途中で式衆のお坊さん方がまかれる
檀家のかたたちはありがたい物として、拾って持ち帰る。

蓮の花びらをかたどったもの
菩提樹の葉をかたどったもの
リラの花びらをかたどったもの

「使ってくれないかなあ」いつも、手元に忍ばせてはいるが
なかなか気付いていただけない。

変哲のないボール紙を切っただけの散華も良いけれど
「わーきれい」と檀家さん、何より、その子供たちが、
「あっ」と域をのむような「心打つ驚き」を
幼い心にインプットしてもらいたい。

ありがたいから持ち帰るのもよいけれど
きれいだから花を摘む
散華も摘んでいって欲しい
そんな演出をされてみても良いのにな…

なーんて勝手なこと、考えてしまう。

商機をあそぶ

今年は、遅れている。
何がって?
それはもうこの時期だもの
お盆。

お盆のしたく。
仏壇業界では、今が、かきいれ時(おかしな表現ですが)のはずなのです。

けれど、わが店は、未だに平常運転(多少、お盆らしいお飾りも、したのですけれど)なのです。

理由は何か…

1)忙しいから?
2) 仕入れるお金がないから?
3)お盆がきらい?
4)boo店長が歳をとって体がうごかない。?

1)の理由。これは理由にならないね。年中忙しいのだから。
 だからブッブー。

2)の理由。ん~あるかな…これは…金欠病 
 でもブッブー。

3)の理由。だったら仏壇屋やめちゃうな。
 だからブッブー。

4)あーこれはあるかも。
「最近、からだが動かなくてねぇ…」てなことないっしょ。
 健忘症ぎみだけれど…だからブッブー。なのだ。

じゃあ何でじゃい!

そ・れ・は、
お盆提灯をい~~ぱい飾って、盆だなを出して、毎年同じレイアウトにしていれば、
販売している気になってくる。お客様は求めているのだ。と勝手に思い、安心してしまう。ちょっとー?これでいのかなあ?って自問自答しまったのですね。そうしているうちに、遅れてしまったという単純なことでした。

夏の間、お盆が過ぎるまで、お見せしたい商材、これいいよっていう商材も、
棚は提灯に占拠されて、お蔵入りっていうものは多いのです。
それが、お見せできなくなる…ん~~。

今年の新人…いえ、新商品。きれいでしょ。

商売上手は、商機を逃さない。
考えるより、体が動いてしまう。

私は考えてしまう。
毎年毎年、同じエンターテイメントのようなことなのだけれど、
これでいいのかなあって。

ゼロにもどって、考えることにしている。

そのことで、商機を逃してしまうことになるかもしれない。
けれど、逃がしてでも、偽りのない商売をしたい。
そう思うから、「納得」の二文字が腹に収まるまで
反芻し続ける。

いつも新鮮でありたいと思う。

浅草だね

近くのコンビニにお昼を買いに行く。

いつものように全速力で、慌てふためきながら
その入り口の重いドアを押し開き
目的の棚に向かおうとする。

そこに行き着くには、
若者がいつも立ち読みしている、狭い通路のコーナーを
ぶつからないようにと、気遣いながら
すり抜けなければならない。

右側の雑誌コーナーの賑やかさと対象に
左の壁は無味乾燥な、白壁が続いている。

続いている、とは、先週までの話だった。
あれ?何か違う。

懐かしい顔が並んでいる。
百恵ちゃん。ひばりちゃん。裕次郎…
あ!ブロマイドね。

浅草と言えば、マルベル堂のブロマイドは
ある年齢以上の方には、常識の世界。
定説。想定内の話である。
子供の頃ひばりの写真が欲しくてしかたなかったっけ。

それが、コンビニに。ある。

コンビニステーションである。

お勉強日

WEB2の時代と言う

昨年末からWEB2の話題がよく取りざたされる。
昔のパソコン通信時代を知るご同輩には、

「何を今さら」と、おもう部分もあるだろう。
ロングテール
WEB2
は流行語のように闊歩し始めている。

タイムリーにEC研究会のフォーラムが開催された。
何はともあれ、雨の中、駆けつけた。


三菱総研も久しぶり。
EC研究会には、2000年頃から
仕事と相談しながら通っている。
一方通行のお付き合いだが
WEBの動向を考えていくのにとても役立つ。

主催している土屋氏の人柄に魅かれるところも大である。

受付で配られた資料に目を通していると
1996年5月からの活動となっていた。
そうか…丸十年。

自分が、第一次WEB店を立ち上げたのが
1996年5月だから同じ頃というわけか…
ちょっとセンチになる。
僕は、そのあと遠回りするのだが。

久しぶりに最後まで参加できた。

神田までの道のりは、酒飲み時代なら
まず、無事には帰れない誘惑の道だが
今は、何の未練もなく、風景を楽しみながらも
足早(短い足には早くもないが)に岐路に着く。


都会の川だね。やっぱり。

黒ひすい。ゲット

またbooちゃん博物館にニューフェイス。

長くお付き合いしてくれている玉屋さんと
話しをしている間に、珍しい黒翡翠を見せられた。
玉の状態もなかなかいい。
共石で、腕輪も用意されている。

いい!と思うと待ったなしになってしまうからね。

boo突猛進なのである。
(猪)

けれど照りがいい。
緑やラベンダーの翡翠もいいけれど
黒は、奥行きを感じておもしろい表情を見せてくれる。
さあ、どんな仕立てにしようかなあ。

小さい玉だけど翡翠の表情はよく出ています。

生還

久しぶりに、特攻隊の生還者のお一人にお会いした。
予科練の教官もされたというから当時は、
猛者(もさ)の一人であったろう。

癌を患い、脳梗塞になりそのたびに、
無事生還を果たしてこられた

「今度」はないかもね…
と、おっしゃっていた言葉には、
不思議と、悲壮感はなかった。

身辺整理のおつもりで、いくつもあったお位牌を
奥様を亡くされたことを契機に、
ひとつにまとめられようと、わざわざ、いらしてくださった。

「日本昔話」に登場するような、なんとも人の良い翁。
古い日本人が、そのままのような語り口。

つい時を忘れ、話に聞き入ってしまう。

僕の小学校4年生の学級担任も、特攻帰りの先生だった。
特攻として飛び立ちながら、エンジン故障で着水して
九死に一生を得た、類(たぐい)まれな運の持ち主。
けれど心中は、傍から見るほど穏やかでは、なかったであろうその半生。

礼を重んじ、不礼には、びんたで応えるおっかない先生だった。
何度、ぶっ飛ばされたか覚えていなし。

しかし、いつも父のようにまとわり付き
甘えていた記憶だけが残っている。

話しながら、ふと思い出す。

自分も毎月靖国神社に、行かしてもらうんですよ。と、
お話したのが契機に、
「置き土産ね」と予科練の話をうんと置いていってくださった。

この足で検査入院だとか…
90歳を超えて、さらに元気でいて欲しい。