たからもの

捨てられない。

上の子供は大学にいこうとする年齢に達した。
一番下っぱで小学校6年生。

保育園時代から通算すれば15年たつ計算になる。

その15年の間、せっせと
工作や習字、プレゼントとあらゆるシーンで
熱心に作品を創作してきた子供たち。

その作品の量たるや、×四人分となる訳で…
まさしく膨大な量になる。

3LDKの我が家には、どこも保管場所がない。

がぜん、上さんは、虎視眈々と、
廃棄の魔の手を伸ばそうとする。

ちょっと油断すると、何かが廃棄されている。

ぼくは、ゴミ箱をあさり、またもとの場にもどしておく。

まあ、冷静に考えれば、上さんの気持ちも、
しかたないといえば…

しかたないのだ。

しかし!

どうしても父親としては、
どれ一つとっても捨てられない。

それこそ、うず高く積まれて、いつか埃まみれになっていく。
たまに、表層なだれを起こし、
こうしてキーボードを叩いている
僕の頭の上にドサッと落ちてくる。

これは、お気に入りの一枚なのだ。


次男である彼は、りんごを見て感動したのだろう…
が、
親は、同情されているような錯覚を勝手に覚え
励まされるのだ。

捨てられますか?

子供の作品。

風情

連休に入ってからというもの
とにかく快晴がつづく。
台風一過といってもおかしくない。

少し汗ばむくらいではあっても
そこは、10月の風。
ここちよい。

20年以上お付き合いしてくださっている、
月島のS様にお線香をお届けに車を飛ばす。

今日は、
車検のため代車で借りてるミニカーだ。

小回りがきいていいけれど、
中年オヤジが運転するにはいささか可愛すぎ。

どうみても、「か弱い女の子が運転しているのだろう」くらいに思うのだろう。
案の定さかんに、他車からあおられる。

急な割り込みも飽きるほどやられた。
(女性はみんなこんないじめされてるの?)

割り込みながら、こちらの運転席を覗き込んでいく。
「ふとどきものめ」睨み返す。
ぎょっ!として慌ててる。

見たか!
だてに年取っちゃいないわい。

何だかんだありながらも
勝鬨橋際の都営住宅に到着。

老夫婦お二人で住むこの長屋も
今年いっぱいで取り壊されるのだそうだ。
ご主人が、複雑な面持ちでお話くださった。

「3年もすれば何十階建てのマンションに生れ変わるから
また帰ってくるよ」

でもね、壁一枚のお隣さんも
路地の陽だまりも、あくびをする猫たちも
どこかに行っちゃうんだよね…

また増えました

おととい福島の庵じゅ様から頂戴し、仲間入りしたアケビ君に、ほおずきちゃんタカのつめ君に、
今日、かぼちゃ君のニューフェースが仲間入りした。

偶然とは重なるもので、1日違いで、福島のライター仲間から頂戴したものだ。
同梱されてきた、トマトちゃんや、りんごちゃんらも、本日の食卓の露と消える運命にある。

友人の手紙にも「あっという間になくなるのでは」とのご懸念も、
まさにそのとおりで、冷蔵庫いっぱいの食材もエンゲル係数の高い我が家では、
文字通り「瞬時」に消える。

かぼちゃ君はあんあまりにも形が良いので、今日は仏前にお供えさせてもらった。

名は「坊ちゃんかぼちゃ」という。
小林よしのりの「お坊ちゃま君」の顔を連想してしまう容姿ではある。

まあ、明日には、お味噌汁の具か、だしで煮込んで醤油で味付けして、おなかの中に入る運命であろうことは確実。

仏前は、「秋の収穫祭」さながらとなっている。

ずいぶんできました新交通

車の車検で、強風の中、西新井まで。

日暮里ー舎人の新交通システムが
最後の仕上げに急ピッチで進んでいる。
電車男のbooは、興味深々なのである。

西新井駅になるのかなあ。


(日暮里方面を望む)

答えは
江北駅なのだそうです。

何となく落ち着く

昼は、家に帰るかここか

もう四半世紀変わらないパターンだ。
たいてい窓際に座る。定席はホッとする。
毎日カレーでも飽きない。

小売商売は、決まった時間なんてとれやしない。

お店が空いたときが、お昼時間なのだ。
だから、先に店の者から食事を取らせていくと
自分の番がないときもたびたび。

「今日は、お昼時間を頂戴できました」と感謝して
その時間をいただくことができる。

だから、時間は無駄にしたくない。
食事場所に行く時間も惜しい。
気持ちはあせるが、足の速度は年々スローになってくるように感じる。

足の短いぶん、若いときは、回転が早かった。

「足がくるくる回って漫画みたい」とよく言われた
実際、足が見えなかったようだ。

コンパスが短ければ、回転速度は速くなるんじゃよ。

若者の心には、お釣りがくるほど、
十分すぎるカウンターパンチをいやというほどもらった。

短いし太いし…。わかってるって。

自分の目で見て納得しているのだから
人様に念を押される理由はない。

先に進みたい、心の焦りを解消する手段として
移動には、ほとんど自転車の力を借りる。

あせる気持ちは、そのままタイヤに伝わるし、
何より風が気持ちよい。

ミニサイクルで車道を風を切って走る。走る。走る。車を追い越して走る。
もしかしたら、こんな姿って

「滑稽に見えるかもしれないなあ」

と、ふと脳裏に浮かぶが、
たちまち気持ちよさに払拭されてしまう。

秋からのたより

S師が福島から、わざわざ出かけてきてくださった。

ぼやぼやしていると、うしろから、「あらあ!」とすこぶる元気なオーラを投げかけて
懐かしいS師が、にこにこと立っていた。

「驚かせに来ました」といわんばかりに
大きな包みを(新聞紙)
バッサ、バッサとあけて見せてくださった。

「なに?」と覗き込むと
はい、と、ばかりに手渡されたおおきな「あけび」
そして、ほおずき、とんがらし。次々と出てくる。
お庭から摘んで、抱えてきてくださったのだ。

福島の土と水と空気が、伝わってくる。
瞬間、ポッと気持ちが暖かくなる。

とにかく仏様にお供えしよ。

すると・・・

おー。
ジャングル化した。


けれど、どことなくしっくりくるよ。

お釈迦様も建物の中で瞑想に入ったのではないのだから
これが正しい姿かもしれない。

最後に、S師が手による書をいただいた。
書は心なりというけれど、ほんとにそのとおり。

人柄そのまんま。なのだ。
自由闊達な筆はこびに
えらく魅せられてしまった。

今日は、お客様は少なかったけれど
最大の収穫だった。