散華

今日は、遅くなっちゃった。

と少しばかりあきらめながらも

月初めの参拝に、九段下に走る。

出迎えは、いつも大鳥居と狛犬。

ふっと、見ると、何度みたかわからない狛犬の顔が

やけに新鮮に見えた。

少しばかり、こっけいな顔の表情に

つい立ち尽くしてしまう羽目になった。

昇殿参拝を終えてさっと帰るはずが、

どうも遊就館は、抜くことができない。

若い頃は、同じ若者としての立場で、

命(みこと)の遺志を、自分と比較して読んだ。

今は、

19、20という子供たちが、国と家族を想って散華した心を

親の目で読むようになった。

そうなると、遺書は、また違った輝きを発して

見えるようになった。