夢違い観音

好きな観音様のひとつ。

実にさりげないが、
実に哀れみ深い眼差しを見せる。

見ていて風の起こる像がいい。

さわさわと、気持ちよい涼風が
この尊像を一目見たとき感じた。

長崎から

長崎から懐かしいお客様がみえられた。
と言っても、リアルでお目にかかるのは初めてなのだが・・・

「初めまして、いつもありがとうございます」が、
ネットの常用挨拶になる。

何度、こういう光景を繰り返しても、不思議な空気を感じる。

だってわかっているんだもの。
どういう方なのかは。
けれど視覚、聴覚で感じるのは初めてのこと。

正確に表現すれば、「視覚で初めまして」「聴覚ではじめまして」
なのだ。

気持ちはわかっているから、細かい説明はいらない。
なんだか身内の感触に似ている。
顔も見ていないのに、前に立たれると、なんとはなしに「○○さん?」
と名ほど口をついて出ることはないが、なんとなく判るのだから面白い。

ネットで仕事を始めたころ
ネットに特化して、リアルの店は閉めようかと
何度思ったか知れない。

店を維持していくことは、リスクだらけ。
経費も人も馬鹿にできない。
自分の理想を通すことと、現実はなかなか一致しない。

それならばと、ネットに切り替える準備を96年に始めた。
でもね、ネットがどんどんリアルに近づいてきた。

しかも活き活きしたつながりを求め、
お店にネット経由で訪れ始めた。2001年頃から特に顕著になった。

「ここじゃなきゃダメなのよ」
どっこいしょと、腰を下ろしながら話してくれるお客様もすこぶる
多くなった。

「お客様へ責任のあるを感じる」とは、言葉が多少重いけれど
効率や理想にばかり目を向けている自分に気づかされた。

「五感で感じる店のあり方」
店を始めた頃考えていた言葉を心のたんすから引っ張り出してきた。
ネットのおかげだと思う。

できることをやってみよう。

未来を塞ぐもの

児童虐待…僕にはわからない。
大人になりきれない親が原因と言うけれど…

僕にはまったく!わからない。
わかりたくもない。
弱者に対して、いかなる蹂躙も許せない。

人は時がくれば否応なく川を渡らなければならない。
彼岸へと。

けれど、心の奥では、永遠に生きたいと願う。
僕も人間は永世するのだなと思う。
けれど、肉は自然界の中で循環するものである以上
物理的に無理な話。

何をもって未来に生きるか。
とすれば、心の部分が引き継がれることをもって
永世というしかない。

自分の薫陶を受けた子供や師弟しか、
未来を象徴するものはいないではないか。

一番身近で自分の未来を託す存在が子供。

虐待とはその未来を自ら塞ぐ行為
と受け取れる。

子供の人格を無視した瞬間から、未来はないんだよ、

未来は要らないという事なのだろうか…
それとも、自分のような存在は、
未来に残してはいけない、残したくないと、
潜在意識がそうさせるのか・・・

思わず嗚咽するよ。
小さな命に。

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