何屋だい?

最近、
石をどうやって浄化したら」よいの?
と、質問をしてこられるお客さまが甚だ多い。

貴石の念珠を販売しているのだから、
お客様から見ればパワーストーン屋と念珠屋の境界線はないのだろう。

貴石をあつかうといっても念珠には、
「浄化」も「石を休める」もないのである。
そういう概念がない以上、必要ないと言い切りたいところなのだ。

けれど、僕自身が石に気を感じてしまうのだから、

仏教上かかわりはなくとも
お客様の気持ちはよく理解できる。

わかる以上、浄化するという事には矛盾は生じない。
仏教では霊界をはっきり規定しないのに、
幽霊を云々いわれるのと同じようなものであると思う。

石が疲れてくると、手で持つと何となくかったるくなる。
そんなときは、朝の太陽のエネルギーをいただくことにしている。

が、クラスター(水晶原石)にかけておくことや
塩を利用する浄化法、香でいぶす方法、浄水による方法などなどとなるのだけれど
腕輪の玉をつないでいるのは、シリコンゴムや生ゴムであることを忘れないで欲しい。

となれば、おのずと方法は狭められてくる。

お客様の声を無視できなくなって
ようやく重い腰を上げました。

左からホワイトセージの葉・水晶粒・ヒマラヤンソルト(岩塩)

クラスターもいろいろ。
6000~8000円のもの
3000円代のクラスターもあるけれど、
大きめのほうがお勧め。

今日の浅草の空

ラベンダーもげんなり。
朝から日光が痛い。

と言いながら、

「でもこれは残暑なのさ」

そう思いこむことにした。

走る

「夏の終り」となると、自転車に乗りたくてうずうずしてくる。

ただ、乗っていなかったブランクは、
みごとに体に反映し、
胴は太り、足は細り
「走ると足が見えなくなるよ」
「漫画のように足が円に見える」と言われたことは、
すっかり昔話になってしまってはいる。

ぼくが自転車に乗るというのは、
ままチャリで近所をぐるりというのではないのだ。

自転車を担いで山を登るか、
八ヶ岳を遠望できる林道を廻るか…
(ああーいいなあ)

とにかく、やや高地のでこぼこ道をツーリングしたくなる。

この季節、高地では陽射しは強くとも、
風は爽やかになる。心地よい風景と風に出会える。

そう思い出しながら、書きつらねてみたはよいけれど…

想いの中では軽快に走れていても…
実際は、きびしいだろうなあ。
このお腹と足じゃあ…

とおもいつつも、また、奮い立つのだ。

80歳超えても走っていたいから。