ひかれるままに・・・

仲良くさせていただいているSさんの紹介で知り合うこととなった
元特攻隊のMさん。
上さんの郷里とMさんの実母の郷里が同じでもあったことは驚きでもあった。

90に手が届こうとしているとは思えぬ闊達さと
物腰の柔らかさにいつも感服している。
僕のつたない質問に快く答えてくださるのだ。

戦争を知らない子供たち世代の僕には、
皇国少年だった世代は当たり前なことでも、驚きの連続なのである。
明治生まれの父が生きていれば聞けることであろうが、
あいにくそれもかなわないまま冥界に行ってしまったから、
聞きたいことは山とある。

まして、志願して国の桜花になろうとした方はどんな心境だったのかと。

はなしの種にと、熊本に戻った際、
お互いの共通項になるモニュメントを訪れた。

無事生還されたとき、郷里長崎が原爆の被害にあい図らずも訪ねた実母の郷里。

そして思い出の橋

今は架け直されてはいたが、存在した。
目的の家はとうに消滅していたようで、影も形もなかった。
しみじみ思いながら橋の周りを散策した。

橋際に慰霊堂を見つけ、これも縁とおまいりした。

この土地は軍人墓の多いところである。
そこに建つ墓もすべてがそれであった。

ちなみにMさんの話では熊本の兵隊は勇敢だったという。
弾が飛んで来るのも何ら恐れず飛び込んでいく。
だから戦死者も多かったのだと。

墓標を読むと陸軍・・・之墓とある。

Mさんと同名を発見した。
この地方にはきっと多い名前なのだろうと手をあわせた。

最近Mさんとお話しする機会があり、
「同じお名前のお墓がありましたよ」と報告すると。
「ホー」とため息とも思える声を発した。

「それは兄です」

計らずも、Mさんの実兄のお墓まいりをさせていたのだった。

お互い目を丸くした。