秩父霊場

Tさん久しぶりの巡礼記。

奇しくも僕の秩父行きと日程がぴったり一時間しか違わなかったという
いわく因縁つき・・・よい因縁でしょう。
僧籍をもつ彼でないと気付かない視点で書かれているのがおもしろい。

http://moon.ap.teacup.com/applet/hanajyoudo/archive?b=40

メールでBoo店長の巡礼の役に立てばだって・・・

くくく・・・(笑っているんじゃあないよ。泣いてんの!)
泣かせるねぇ・・・

ああ野麦峠

秩父に気を良くして、満願したら次の行き先も決めている。

野麦峠。

自転車人生のスタート地点なのだ。
はじめての峠越え。

山本茂美の「あゝ野麦峠」
女工哀史を読んで、どうしても行きたくなった。
19歳の夏。

当時は、社会にひたすら疑問を持っていた時期だった、
胸を打たれての衝動的行動。

当時住んでいた横浜から名古屋経由で高山まで輪行した。

レーサーシャツにキュロット+レーサーシューズのいでたち。
今思うと、何とも恥ずかしくスタイルなのだが

当時としては、かなり突拍子も無いスタイルに映ったことだろう。

駅前で組み立て、多少日が高くなっていた高山の街を出発した。
ああ野麦峠の史実に沿って走るために、本番の野麦峠の前に
美女峠という比較的低い峠が待っている。
最初の関門が待っている割には、スローなスタートだったようだ。

美女峠は、なだらな坂。多少戸惑いながらも難なく越えたと思う。

ただ、本命の野麦峠へのアプローチに入る頃には、
正午をとっくに過ぎていた。

飛騨側の路面は、多少荒れてはいたけれど、全工程舗装路。

買ったばかりのケルビムのオレンジのロードを駆って、
勢い頂上まで・・・

と行きたかったが、それ、練習不足の体には、つらかった。

途中、水のみのため、
写真撮影のため、
と称しては休み、峠に立ったときは、日は、3時を過ぎ西に傾き初めていた。

すでにオレンジ色に染まり始めていた。
建て直されたお助け茶屋は、予想に反し近代的(観光的)で、居心地が悪く
お茶を一服いただいて早々に辞した。

泊まりの設備もあったように記憶するが、明日には戻らなければならない。

松本方面への下り道を探した。
山道は、あっという間に暮れることをフッとよぎったが、
後は下りとたかをくくっていた。

「下りだろ。大丈夫。ままよ」
勇み、泊まり客の間をすり抜けて、
弱き心を振り切って、松本側に滑り出いた。

さあ・・・。
それからが、地獄の一丁目の始まりだったのだ。
初夏とは言え、山の日暮れは早かった。
夜間を走るつもりはなかった。
雨になろうことも、これぽっちも頭になかった。

携行品と言えば、小さなリュックに、
非常食とヤッケと後続車よけの電装のリフレクターのみ。

そんな状態だから、もちろん前を照らすライトなど
持っているはずもなかった。

どうしてこんな軽装で出かけたのか、全く思い出せない。

ただ、ライトを持たなかったことは、
「後悔先にたたず」を正に地でいくこととなった。

峠を少し下ると・・・
舗装路と思い込んでいた路面が、こぶし大の石がゴロゴロ転がり
雨で洗われるのだろう岩が露出する最悪の路面。

熊笹で覆われる、車一台やっと通れる細い九十九折の林道が
急坂となっていた。
乗って走ろうものなら、石にタイヤが埋まる様相を呈し、こぶし石に乗り上げ数百メーター下がった所でパンクとなる始末。

とても、チュ-ブラーのタイヤで何とかなる代物ではなかった。

ここで、予備タイヤを使ってしまった以上、
松本までの数十キロをもうパンクさせるわけにはいかなくなった。

予想外の展開に、十数分で抜け抜けるところを
1時間以上をかけて歩いて下ることとなった。

しかも、プレートを打ち込んだ、レーサーシューズで。

そんなときに限って、「ああ野麦峠」の一節が脳裏を掠めるのだ。
故郷の土を踏めずに亡くなっていった女工たちの心境まで
みごとに湧き上がってくる。

道は狭く、熊笹に覆われて、足元もおぼつかない。
なんとも心細い話であった。

ついでにカラスの鳴き声まで、不気味に響く。

ようやく浮石のなくなった地点まで下がると、
日はとっぷりと暮れて、夕闇が迫っていた。

冷や汗なのか、脂汗なのかわからぬ汗をかきかき、
ここから始まる松本までの20kmを越えるダウンヒルを
楽しむ。はずだった。本来ならば。

しかしすでに闇。
人っ子一人いない山の中。

ライトは、腕に付けるレフのみ。

ままよと下った。

しかし無謀だということがすぐに理解できた。

新月だったのか、雲で月が隠されたのか、思い出せないが、
漆黒の暗闇で道が全く見えない。

目を凝らすと、
薄っすら、路面のラインがぼやけて見える。

渓谷沿いに下るので、一歩間違えば谷底だ。
恐ろしい話だ。
泣きたくなるとは、こういうことだと思った。

昼間なら、気味の悪い山間の随道も、
このときばかりは、水銀灯のオレンジ色の光に、
命を取り戻す生を感じる心持ちだった。

気味悪くぽっかりと吸い込まれそうな暗黒の口を空くダムを見ぬようにし、
若干の上り下りをとにかく、がむしゃらに猛スピードで通過した。

もし人が見たならば、疾走する僕の形相はどんなだっただろう。
いや、泣きついて「軒先でもいいから泊まらせてください」と申し出たかもしれない。

松本側の島々の町の明かりが見えたときは、
ほぼ放心状態にあった。

松本まで走る気力は、全く消えうせ、
時折人が行きかう新島々駅前のベンチにかまわず横になり
蚊の攻撃も全く意中になく転がって動けなくなった。

生きて戻れた・・・
パンクしなくて良かった・・・
心底思いながら。