ルチール


最近は、男女の別なく、特大の玉に魅せられる方が多いように見受けられる。

この写真の玉とて本来、男性用の22玉に使用する12mm玉強の大玉のルチールを使用して仕立てている。

石の表情が気になりだすと、小さい玉では飽き足らなくなるのかもしれない。
なんたって、大きい石は奥行きを感じさせてくれ、よくよく覗き込んでいるとその中に小宇宙を発見するからだ。
そこに吸い込まれんばかりの得も言われぬ深みを感じる。

何億年と地球の息吹とともに地下深く僅かづつ僅かづつ成長してきた石が今!自分の腕にある。
というのは、ちょっと視点を変えて考えてみるとなんとも不可思議な事実であり、なんと千載一遇の出会いであろうかと、思えてしまうのは僕だけだろうか。

8月1日

携帯のカメラではこの程度しかディティールが表現できません。
が、現実は空想をはるかに凌駕します。

榴弾砲の硬い躯体をすらえぐる凄まじさの中に、生身の人間がさらされていたと思うと、こちらの身が痛くなる感覚を覚えます。
物も言わない戦争遺品が雄弁に諄々と説明してくれます。

十五糎(センチ)榴弾砲と向こう側はカノン砲。


平和な国だね時代だね・・・わが日本・・・

狂乱のあとに

昨日は隅田川花火大会。
何十万人の動員だったのだろう。
たぶん公称人数は右肩上がりの報告になるだろうと予測している。

ただ店でお客様の状況を見ていると、交通規制の効果もかなりの効果を上げていることもあって、平年並みもしくは微減と言う漢字に受け止められるのだが。
仏壇屋の立場でこの日をやぶにらみすると、お盆月に必要あって来店されるお客様が激減されたことが気にかかる。

地下鉄の乗り場まで一時間待ちなどという狂気の沙汰はようやく解消されたけれど、この日を避ける意味でこの日にいらっしゃらなくなったと見てよいのだろうか。
浅草は毎月何らかの祭りが用意され賑わいがあるのだが、反面それを避ける人々もいらっしゃることを考えないといけない。

老婆心ながら、花火を先祖供養の心と思ってみる方がどれくらいいるのかな・・・
などと考えなくてもよいことまで考えてしまうのは、歳が行った証拠なのだろうか。