夕立という死語

死語という言葉にはいささか言いすぎの感もある。

子供の頃、横浜の田舎であったけれど、夕方になると決まって雨が降った。
それもにわかに掻き曇り、ザー・・・っと降ってくる。
けれど子供たちは慣れたもので、ちょっと軒先を借りて雨宿りする時間で雨はすぐに上がることを心得ていた。

さっきの雨は何処に行ったやら・・・
雲間に夏の太陽は再びかえる。
つくつくぼうしが鳴き始め、夕刻の涼しさのうちに戸張が落ち始める。

今はその常識が全く役に立たなくなった。

「夕立」気温を下げてくれる、かつ夕刻を教えてくれた恵みのスコールであったのだ。

なぜ?降らぬ。

全く降らない。

降ればふったで、「ゲリラ豪雨」と呼ばれてしまった。
とても恵みとは縁遠く気難しい代物に成り果てている。

おっかしいなぁ・・・
日本人の・・・
(いやいやそう言うと角が立つかな)
僕自身も含めてややこしくなったこの時代に生きるものと歩調を合わせるように雨も気難しくなったと見える。

情緒をすら醸し出す夕立とやらには、もう逢えないものなのだろうか。