涙を呑む

久しぶりに浅草は賑わった。
ゴールデンウィークは近場の観光地でとかマスコミでも情報を流していたし、
こんな形でどっと出たわけではないのだろうけれど、やはり人がぶつかるほどの活気さが、やはり浅草らしい。

御陰様で店もそれなりに混みだした。

そんな中ある親子さんがご来店くださった。
「チョット待ってね、まだあるから」
仏具を一つ一つ時間をかけて丁寧に選ばれていた。
ご供養するために必要な一通りの買ってくださった。

接客しながらふとお客様の口から、

「津波にあったその日が命日と思って、供養してあげたい・・・から」

ん?と思った。

品物をお渡しするとき、

「どちらからですか?」の問うてみた。

「岩手」と一言。

さらに問うと、

「大槌町」と言葉少なに応えて下さった。

きっと口には出されたくなかったのかもしれない。
僕も僕で次の言葉が出なかった。

自分も岩手のお客様の現状がまったくつかめないこと、
宮城の親戚をなくしていること、

など我知らず口にしていた。

被災時には他所にあって難を免れたお母さんと現地にいた娘。

家族の大事に一緒にいられなかったと心を痛める母の弁。

「母がいてくれたから生きていける」と子の心。

最大級の難が現実として究極な状態に落とし込めたのだ。

我知らず涙を呑んでいた。

あまりに心の傷が深いだろうことを察すると、どんな応答も空々しい言葉になってしまう。
ともに涙を呑むこといかできない自分があった。

外の喧騒とは裏腹に被災地はやっとスタートラインにつけるところにたどり着けたのだろうか・・・・