親鸞上人七百五十御遠忌

いつもはだだっ広い前庭に数台の車が駐車している印象の東京本願寺に出店が並ぶ。

念珠屋だったり、打敷屋だったり、お線香屋だったり、牛久のアケイデアに並ぶお店がこちらに出張販売に来ているのだろうか。

テントが並ぶと、案外狭く感じてしまう。

徳風幼稚園の園児さんたちだろうか。

そうでした。

今日は、親鸞聖人の御遠忌その日でありました。

浄土真宗の開祖・親鷲上人入寂
「善人なおもて往生をとぐ 況んや悪人をや」は『歎異抄』の有名な言葉。親鸞の妻帯は当時の仏教者としては異例で、周囲から非難され弾圧を受けた。しかし修行に専念し悟りを得て真宗を開き、民衆に広く教えを説いた。「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」 — 今日すべきことはやり終えるよう全力で生きた親鷲は、1262年(弘長2)のこの日、享年90歳の大往生をとげた。

信徒ではないけれど、団参の方々にまぎれて本堂に入らせてもらう。

久しぶりの本堂内はひといきれでムンムンする様子。
さすがに真宗教団は、特に東本願派はその大谷派からの独立した歴史を経ているがゆえさらに結束がものを言うのだろうか。

二十六第 大谷光見法主の法話が始まった。

七百五十遠忌は今日で終了すること。終わりは即、始まりであることを冒頭語られた。
そしてTONは釘付けになった。

お話しの中にも、大谷派からの離脱(大谷騒動)のお話しが大分を占めていた。
http://www.honganji.or.jp/docs/about/history.shtml

その渦中で、本来なら京都のご本山におられるべき法統の主人公は、騒動の中、末寺をいくばくか従いて(たしか当初は40ヶ寺くらいではなかったか)、本山を追われて分離独立された。苦労された法主を父親に持ち、法統の継承者としてご苦労されてこられたのだろうなぁと思いつつ、話の中に引き込まれていた。

法話終了を待って、部外者と指摘される前に早々に退出させていただいた。

久しぶりに、本山の阿弥陀様を拝ませていただいた。

ここも仲見世

ただし、本願寺の仲見世ではありますが。

よく見ると、境内に人が多く出入りしている。

ちょっとよってみよう。