花川戸の船着き場工事

スカイツリーがおかげでようやく本格的に川辺の文化に人の気持ちが熟してきたように思う。

膝の痛みが出るようになってから、墨田公園を朝走ることがめっきり減って、工事がどこまで進んでいたか今日知った。

ここは丁度、古い言い方で言えば浅草寺北谷。最近は二天門通りと隅田川との交差点。


川に並行している江戸通り。

川の堤防に水上バスが横付けできるように改良している真っ最中なのだ。
これが完成すれば、日本橋や羽田からのクルーズも行なわれるのだろう。

もともと江戸の町は水の都だったわけで、川から目を背けてきたのが、ましてや命の原潜である水を汚してきたことが、都市を病気にし、命を削らせてきた。

ようやく再び水辺に戻ろうとしている。

きっと活力が戻ってくるだろうことは目に見える事実だ。

ちなみにこの花川戸(古くは山の宿)の川岸は、浅草寺駒形堂のある駒形と同様に、浅草寺で祀られる観音像の1400年前に揚陸した土地として伝説の残る土地なのである。

今年は三社祭りが始まって700年という節目の年。

記念行事として60数年ぶりに川渡ぎょが行なわれる。

今回は駒形の地が揚陸の場所となったのだが、実は江戸の御世までは、観音像が揚陸したのは駒形と山の宿と二箇所と誰もが知っていて、どちらも因縁の地として大切にしていた。

それを証拠に、三社祭りで神輿を揚陸させる行事は、浅草御門から舟で上がってきた一之宮、二之宮、三之宮の神輿は二箇所を隔年として揚陸していたと文献に残っている。

その山の宿(花川戸)に、船着場が戻ってくることは、不思議な因縁を感じる。