お客様、遠方よりきたる。。。

念珠堂が三社祭りに合わせて移転し開店してから四半世紀をオーバーしてしまった。

もう鬼籍に入られてしまったが仏画の難波淳朗先生の個展が念珠堂浅草店の出航の日だった。
浅草店とあいて書いたのは、当時もう二店舗あったからなのだが、ここに集中するためにまもなく雷門の現在の店のみでの営業となった。

念珠堂の店にいらっしゃっていただいた方だと何となくそうかなと思うかもしれないが、壁際には絵画を架けるためのレールを回しているので吊り下げ金具を使えば100号の絵でも300号でも架かる。
本当のことを言うと、オープン時には什器が間に合わなくて、絵画の個展でよかったと胸をなでおろしたのだ。商品を飾ろうにも什器がない。

そんな中で壁際は生きた。

かろうじて間に合った中央のお香の什器のみには今の三分の一にも満たないお香を並べ10人近くの店員でそれでも忙しかったのを覚えている。

しょっぱなが画廊仕立てで始めた念珠堂なので、ご来店されたお客さまは絵画店とインプットされてしまった。だから次回ご来店された時に驚くのはあたりまえのはなし・・・仏壇屋になってるんだもの。

おかげで仏壇屋ぜんとしていたら多分お会いする機会も持てないお客様との出会いをもたらしてくれた。

浅草というところは世界的な観光地と誰もが認めるところと思う。

それだけに各国からのお客様がすこぶる多い。
少なくとも日本全国からの出会いがここに居ながらにして可能となる。
北海道礼文島、利尻から、沖縄石垣島からと極端な話し、そうなのである。

外の喧騒が近づき、去っていく。
神輿が遠のくとともにお客様がご来店された。

話をさせてもらうと熊本のイントネーションの感じ。

尋ねてみた。備後の方だった。

「広島も西と東は、もともと国が違っていたから言葉も文化も違うんですよ」
という。そんなことがきっかけとなって、趣味の話から、戦国時代までルーツは確認されている話、ルーツは兵庫にあること、海賊の話(TONの先祖と関わりがあるのか・・・)、ご先祖祭りというお祭りを毎年行っているという話までetc.etc. 長い立ち話となった。

「たまたま来させてもらったが、ここは聖地のようですよ」と賛辞を頂戴してお帰りになった。

遠いところのお客様も多くいらして下さると思ってはいるが、遥か戦国時代のご遠方のご縁によってお逢いさせていただきましたようで・・・