生死の境

読売新聞の記事にこんなのがあった。

http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?from=yhd

朝から重い話と思う人は思うかもしれないけれど、一度は必ず通る道だからそう考えるとつい足を止めてしまう。

自分の母親も今年七回忌なのだが、その母親が生前、病院・・・と言っても終末医療の様な個人病院のお世話の仕事をしていた関係もあって、終末期の患者さんの事や病院内の内輪話もよく耳にしていた。そんな環境で育ったためだろうか同年代の友人たちよりは多く、生死の境界の事を考える時間が多かった気がする。

そもそも母親の語り部的な影響は少なくない。

彼女も少しばかり霊感の強い人だったこともあるのかもしれないが、生前親しくしていた方が亡くなると、訪ねてくれるそうで、報せが入る前に、心の準備はできていたという。母本人が死線を越えるかどうかの病の淵にいた時にも、よく言われる三途の川に行ってきた話を後で聞かされた。不思議ではあったけれど、そういうもんだろうと素直に納得していた。

二足歩行になることで両手が使えるようになって火をおこし、他の動物たちとは違った生物へと進化した。そっれが人間だなんて。なんてつまらない物語だろうと子供の頃から冷ややかに見ていられたのも、深い部分で人は人として世の中に生まれた存在だと信じていたからなのかなぁと今思う。

TONには誰が迎えに来てくれるのだろう・・・・

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