星月菩提樹

清月菩提樹の比較写真。
星月菩提樹。何十年使用してくださっているのだろう。。。下が元の色あい。

菩提樹の中でも価格変動の激しかった玉のひとつ。

TONが念珠を創り始めたころは尺玉だと2~3万円、22玉なんて3万円ぐらいしていたのだから隔世の感がする。

一時期やったらめったら綺麗な星月菩提樹がお寺の引きもの用で使われ始めて、若気の至りで何も考えず綺麗だからと取り寄せてあるお寺に500個くらい収めた。すると数ヵ月後に、クレームにつぐクレーム。クレームの山となった。

玉が割れるというのだ。数ヶ月しかつけていないのに、パカッと割れる。とにかくお寺に謝り、檀信徒さんに謝り、誤り放題とはこのことだった。全てお取替えせざるを得なかった。

要するに漂白していたということだった。しかも強烈に漂白するものだから、玉の組織まで壊してしまったのだろう。ということは元々が色合いのまばらな玉を色合わせのために漂白して白く色あわせしたということ。

痛い思い出。いい勉強をさせていただいた。大丈夫かな?と思う素材は、必ず自分で試してみることが癖になった。

 

浅草のそら

 

雲だけは豪勢だ。。。

西日本で豪雨が続き尊い命がまた犠牲になっている。ご冥福と1日も早く復旧されることを祈るばかりだ。

社会人となった昭和49年の7月、台風8号の影響で静岡県や神奈川県一帯は集中豪雨をもたらした。神奈川だけで13名、静岡で27名の命を奪い各所に洪水、がけ崩れを引き起こした。早朝、水防要員として駆り出されたにもかかわらず、身動きの取れなかったTONは自宅待機を余儀なくされた。

翌日出勤すると、大目玉をくらうこととなった。

「こんな時は這ってでも泳いででも出て来い!」と、特大級の雷だった。なんとも技術屋として苦いスタートだった。その次の年も同じように七夕にかけて豪雨となった。そんなせいか豪雨となりそうな雲行きは肌で感じる。空ばかり見る癖はここからきているのかもしれない。技術屋でなくなった今でも、雨脚が強くなりそうな雲行きになると、身構えてしまう癖はどうしても抜けない。