風林火山

風林火山のよう…
お盆当日だというのに、
忙しかった。

どう忙しかったか、というと、
朝からめいっぱい、忙しかった。
儲かってよかったねと言われそうだが、
ありがたいことに儲かる構造には、
なっていないから、
安心している。

そんなことより、最近気になるのが
人の動きが、年々予想しづらくなってきたこと。

商売は、水物であるけれど、
大まかな購買予想は、
事前に立てれたものである。

が、今は直前にならないと
まったく動きが見えてこなくなった。

人の動き方が、風林火山のような
人の動き方になってきたように感じる。

動かざるときは、山の如く動かない

動き出してしまうと、とどめなくしかし、
疾風のようにさっと過ぎてしまう。

生涯のおつきあい

久しぶりに懐かしい方が来訪してくださった。

千葉のOさんは
百体仏を彫る願をかけていらっしゃる。

同じ自転車の趣味もあってか、
一回り以上も歳の違いもなんのその
何故かいつも意気投合してしまう。

始めは、彫刻刀の購入時からのおつきあいだから
仏師入門の入り口からのおつきあいと言うことになる。

曹洞宗の彼は、星月菩提樹の念珠を購入していただいている。
普通の研磨で製作したものを
さらに入念に自分で磨いた。

Oさんの手にかかると
普通の念珠もこうなるよ。

玉の穴繰りの面取りが尋常でない。
おまけに、玉の1玉1玉をくるみの油で磨いたとか。

トラメ石まで磨いたの?

いやはや、とてもじゃないけど、かなわないや(^^;

庭師の職人さんが捨ててしまう木片も
Oさんいただいてくるのだそうな
何にするの?

おもむろに

「はい」
っとプレゼントしてくださった。

欲しそうな顔をしていたかいな。

痛!
いててて…

桜の端材もこうなるのか。

木はいいねえ。

蓮ちゃん近況

浮き草に押されて、中が見えないほど
ラッシュ状況となる。

でも、しっかり新芽を水面に出してきているから
無事のようではある。
けれど花は咲かない。

しっかり栄養を与えて、来年に備えるようにしたほうが
よいのかもしれない。

めだかは、活き活きライフをエンジョイしている。

教えたげる

「おしえたげる」…横丁の与太郎の言葉尻は、
リエゾンすることで「oshiete ageru」の te+age=tageになってしまうようだ。
だから、「おしえて あげる」が「おしえたげる」と詰まってしまう。
自己解釈の江戸弁だ。

さておき、
夕方間近にかわいい職人さん候補がみえた。

ご自分で念珠を作りたいということで
房や親玉のパーツを探して、ここまで来られたのだ。

四六時中、念珠と向き合って暮らしていると
無造作に手だけが勝手に動いて、
作業をしてしまうことが多いのだが、
こうして製作の疑問点を、投げかけられると、

いい刺激になる。

使わない脳細胞が、クルクルと音を立てているのがわかる。
オーバーヒートしない程度に止めておくのがコツのように思うが
つい、余計なことまで口が滑ってしまう。

最近、自分で自分の念珠を、作る方が増えた。
しかもブレス程度のものではない。

れっきとした宗派念珠を、自分でこさえてしまおうという
信仰心あふるる、のだと思うが、
そんな方が目に付くようになった。

法具に関心を持ってくださる方は、いたってうれしい。

わがホームページにも、
そろそろ、コンテンツを増やさないとと思う。

もちろん「自作コーナー」である。
でも、あちこちで自作しだしたら…どうしよう。

…そうだ!

boo店長は、もうやめて

boo親方って呼んでもらおう。

共同作業と職人仕事

懸案になっていた、製作ものをやっと、こさえることができた。

販売の現場をこなしながらなので、
俄然、遅々としていつも進まないのだが、

今日は、どういうわけか
良い意味で…
良いも悪いもない。つまりご来店が少なかったのだ。
スムーズに作業が終了できた。

近頃は、彫り物が多くなったので、一から十まで、
自分だけで完結できない仕事が多くなってきた。

だから、
他の職人に渡して、一次加工を終えるのを待つのだが、
これが、
いつも待ち遠しい。
実際は、不本意なのだ。

直接仕立てる楽しさは、何とも言えず心地よい。
が、しかし、企画立案までしか出来ない。
あとは職人まかせという仕事の場合、
最後まで気が抜けないし、はらはらのし通しなのである。

人の手を借りて念珠なり、仏像なり、製品として完成させるのは、
大掛かりにもなるし、まあそれなりに、達成感はあるけれど、
精神衛生上、たいへんよくない。

大きい仕事をこなそうとするなら、なおさらのこと、
慣れていかないといけないのだろう。

と思う。

が、手の届く、
気の回る範疇の仕事で充分と思うようになった。
最近、そんな思いがいつも、もたげてしまう。

むしろ、玉造りからぜーんぶ自分でやって、仕立てて
という思いが強くなっている。

彫刻刀を持って、木に向かうのも
遠い将来ではないような気もする。

明日の期待


しばらくぶりに登場!

はじめは、肩身が狭そうにしていた、水草が
あっという間に増えに増えて、水槽いっぱいに覆ってしまった。

肝心の蓮ちゃんは、というと

大葉一枚が元の葉の中では最後の一枚を残して
みな枯れてしまった。

もう風前の灯・・・

と思いきや、実は水の中には、新芽が次から次に
伸びているのです。

めだか君も、4匹、無事に成長し、
猫の脅威にもめげず
一匹は、やや、お腹が大きいようにも見えるのだ。けれど。

白と黒の間に産まれた子らは、
何色になるのかな。
ぶち、白、黒、グレー

ほんのわずかな期待に、
明日の意欲を掻き立てるBOO店長なのであった。

てんてこまい

お盆は、やっぱり8月だ。

オーダーのきく店として、口コミをいただいているようで
念珠も仏像も、中には厨子や仏壇にいたるまで
オリジナルがこれでもかというほどに多い。

オーダーのお部屋も満杯状態で、
これは、ほんの一部に過ぎない。

右から左に物が動くだけなら
こんなに楽なことはない。が、
よく考えると、
自分の性格上、すぐに飽きちゃうだろう。
たぶん。

がぜん、一つ一つが個性豊かになる。
それぞれに思いいれも深くなる。

そのたびに離別が伴う。
商売なのだから、当たり前の話しなのだが、
前にも書いたような気もするが、
いつも嫁がせる親の思いでいる。
だから、飽きる暇がないのだと思う。

時節がら、「お盆に間に合わせて!」
と、懇願される。
こちらも調子よく「がんばりましょう」などと
安請け合いしてしまうから、さあたいへん。

コンビネーションで作る作業だから、僕一人の問題でもないのだ。
職人さんも労働法の元にある以上、
無理させ過ぎるわけにもいかない。
あとは、残るは、我が身ひとつなのだ。

 ∴てんてこまい。

生きる言葉

持ち出しで、ずーと続けている道楽がある。

写経会。
ただ、年月だけは二桁になっってしまった。

「忙中閑(ぼうちゅうかん)が大事だよ」と師匠のような父親のような恩師の言葉を実践するつもりではじめ、今まで続けてきた。

もうやめようかと何度、思っただろう。

けれど、そんな思いをもちながら、会に臨むと
決まって誰かの口から

「ここがあるから助かったのよ、ありがと」
「来れてうれしかった…」
などと、耳にする。

必ずである。

お店の運営にも同じことが多い。
この仕事も決して順調なわけではない。

「世の中不景気でも仏具屋は、景気知らずだからいいね」
などと無責任に聞こえる一言を、ぽんと投げかけるお方が
いらっしゃる。
「じゃ、やってみたら」などとは口が裂けても言えない。

世の中そう簡単ではない。

それは、昭和の中くらいまでの話だろう。
食えなければ、はじめにカットする経費は
見えざるものへの経費なのだ。

「ご先祖さんは後ね。生きて働く人が大事だもの」
と言うではないか。

見えざる部分から、まずカットするのが常套手段である。
本当は、逆なのだけれどね…。

もうだめだ。そう思ったっことは数知れずある。
なのに、月末になると、不思議と救われてきた。

「あんたのお店があってよかったよ」
「会えてよかったよ」コールをいただくのである。

労働価値説なんてどこかの誰かが、昔いっていたけれど、
労働以上に大切な何かを感じる。

労働へ、いざなう「意欲」に価値があると思う。
意欲を持たせる「一言」に価値があると思う。
・・・・・・

その一言を、一人からでも、いただけるならば、
まだまだ、この仕事を続ける価値があるのだろう。

あんこマン

まだ、日中というのに浅草は、花火大会の影響で
やたらと浴衣の若者の姿が目立った。
日本人はやっぱり日本人だね。と思いたいのだが

着慣れていないことは差し引いても、
「できれば、ブランド物は、あまり似合わないよ」と言いたくなる
おじさん心を抑えるのに精一杯。

お店もそれなりに活気があって楽しい。

お客様と応対している最中に
Sさんの来訪があった。

「はい」と渡された
誕生日をすっかり忘れていた。
いつも子供の誕生日のおまけだった僕の記念日は
いつの間にか埋もれてしまっていた。

「仙太郎」初めて聞く和菓子屋だった。
あんこマンのこの僕も知らなかった。


小豆が活き活きしているんだよね。
え!わかるのかって?それくらいわかるさ…

一緒にいただいた小雑誌
「菓子屋のごたく」はさらに、嬉しかった。
自社製品の目録程度のものと、さらっと目をとおしていると
これが、なかなかどうして、職人気質を絵に描いたような内容だった。
どっちでもいい
表示に頼るな! 
清貧  ・・・etc

道義書のような内容に、これが目録?
と思える貴重な(僕には)本だった。
いつかほんの主に会えるだろうか。

縁をいただいたSさんに感謝。

時代を生きると言うこと

手元に一枚の写真がある。

格子に、すりガラスをはめた引き戸の、玄関前に
着物に割烹着姿に、ねんねこをつけ
おぶさり甘える子供は、一歳くらいの坊や。
お母さんは、とても若いのに、どこか凛とした清楚さを持つ。

お顔は現代的で、洋装に着替えれば、今の時代にも何にも不思議なく
溶け込める容姿だ。

昭和31年ごろの写真という。
同じ時代の人なら、思い出の片隅に、皆持っている光景だろう。

一瞬にしてタイムスリップをした。

少し前に亡くなられたのだという。
ご自分をこよなく愛してくれた母の似姿で、
観音様を彫りたいというご要望だった。

お写真を拝見した瞬間、
初対面にもかかわらず、懐かしくて、胸に詰まった。

話してみると、ご依頼人も私と同じ時代を生きた方だった。
と、すると、この中の坊やは、私の姿でもあるか・・・

どこにでもあった光景。
けれど、今は、どこにもない光景。

その時代の断片では、
今は、老女となった父も母も若く生きていたのだ。

いのちは連続している。
バトンを渡しながら次の時代を生きていく。

その時代に生きると言うことが、
渡されたバトンを持ちながら、懸命に生きることを、
なぜだか、今日は染み入るように理解させられた。