大草鞋も付け替えられました。

朝の掃除会で奥山おまいりまちの商店主S氏の話。

本堂落慶50周年の大開帳は感慨ひとしおだという。
戦前国宝だった本堂も五重塔も空襲で全て灰燼に帰し
浅草っ子は、相当なショックを受けた。
70歳になるS氏だが両親の当時を振り返って、すぐにでも再建しなければいけないと心を決していたと振り返る。
その秋には今の淡島堂に使用している建物を仮本堂として焼け跡に再建された。

寺も出開帳を19回全国で行い、様々な苦労の末に今の本堂が昭和33年に完成した。
その出開帳に行かれたのが、今のお前立ち本尊である慈覚大師謹製の観音像だった。

町の復興と堂宇の再建がリンクしながらこの町は活気を取り戻したのだ。
この大開帳は、そんな浅草っ子の心象に触れる行事でもあるのだろう。

大草鞋は山形の寄進によるものだが、10年に一度行われる。
その寄進される大草鞋材料になるわらは、専用の田んぼが用意されて炒ると聞いた。
そこで刈り取られたわらで編まれこうして宝蔵門に架けられるのだ。