父の記憶

11月には、福島お寺で開かれる、
お餅つきに行きたいと思い、
仕事を前倒しし、なんとか消化しようと頑張っている。

つもり。

今月は、父親の命日でもあるのに、(ん?48回目…)
我が家の墓所は、福島よりさらに先になるため、
遠距離を理由に今年も無沙汰している。
そして、来年ね。と、もう決めてかかっている。

53才で逝ってしまったのだから、当然というのか、
幼かった自分には、父の記憶は全くない。

愛煙家で、タバコが「いこい」くらいの記憶しか残っていない。
そして、そのタバコの火が原因で、やけどをしそうになったらしい。

ぼくが。

そのショックから、ひきつけをおこし…というか、

「もう息してやらない」と、今風に言えば「切れた」記憶がある。
そこの部分は、しっかりと覚えている。

始めは苦しかったのに、だんだんと、気持ちがよくなっていくのも覚えている。

「息していない。大変だ」まわりのざわめきも覚えている。
慌てたのは、父であった。

息が止まり、青黒くなっていくわが子に、大慌てとなった。
と、後日談で聞かされた。

母にこっぴどくしかられた父は、当分、禁煙を迫られたという。
「こいつは、恐ろしい」これも父の言葉だった。

もうすぐ、その父の歳に近づこうとしている。