五百羅漢

片手念珠の話し。

超細密彫りで1玉に25~6人の羅漢さんが彫ってある。

18玉仕立だから≒500羅漢ということなのだ。

それにしても…
まあよく彫るわ。

感心してしまう。

ちょっと反骨

「東京タワー」といってシャンプーをつけた髪の毛を立ててあげると
「ぼくも」「ぼくも」と子供にせがまれたのを
コマーシャルを見ていて、ふと思い出した。

タワーには特別の感触、思い入れがある。

濱っ子の僕にはマリンタワーいつも見える。
心の内にも誇りとしていた。

世界一(当時)の東京タワーに大しても、
「マリンタワーがあるじゃん」
といつも、敵愾心をもっていた。

映画「三丁目の夕日」で昭和30年代が脚光を浴びているが
タワーの建設途中の姿を見るにつけ、
ちょっと斜に構えていたそんな時代の郷愁を感じる。

除籍謄本

手元に我が家の除籍謄本がある。
(お蔵入りした古い戸籍のこと)
神奈川縣多摩群鈴木町・・・

父の旧戸籍。

10年以上前に父の実家のある小平市役所に足を伸ばしとってきた。
明治3年に施行された戸籍法にそって作られたものだが、
80年を経過すると戸籍は廃棄処分されると知って(あまり知られていない)、
慌てて我が家の歴史を消してなるものかと役所に駆け込んで手元に残した。

100年を超えた一級資料である。

ときどき引っ張り出して眺めているが、
達筆な書込みを見ていると全く飽きがこない。
セーブしないと1~2時間眺めている。

僕の子供時代は、引越しの連続だった。
僕が生まれてから片手では収まらないくらい、
本牧を皮切りに横浜市内を放浪し、ついに今は浅草に落ち着いたわけだ。

除籍謄本を見ると、弘化4年からの歴史がぎっしり詰まっている。
面白いことに、百姓らしく、一度も引越しの跡はない。
自分とはえらい違いだ。

武蔵野の片田舎でのんびり暮らしていたのだろう。
父が大学に通うころですら「タヌキが先導した」
と言っていた話もまんざら眉唾でなく思えてくる。

けれど、江戸から明治、大正、昭和と時代は、土地の名称は激変した。

相模国から神奈川県縣北多摩郡鈴木新田、
東京府北多摩郡小平村、
東京都北多摩郡小平市花小金井とクルクルと猫の目のように変わる。
時代が急変していたであろうことは容易に想像できる。

家長制度の戸籍だけに、全てが記載されてもいる。
だれだれが何処に嫁に行ってどうなった、何処から来た、
だれだれが家督を継承した云々としっかり読み解ける。
歴史がしっかり詰まっているから身近なドキュメントであり興味深い。

いつか暇を見つけて、
家系図に起こしておこう。

日本人

椿三十郎がリメイクされて、森田芳光監督によって
撮られている。
織田裕二を主役に黒澤明への挑戦がされている。

その舞台裏をNHKで紹介していたが、
面白いと思った。

何が面白いかと言うと、
チャンバラごっこをしたこともない若い世代を
撮るという作業(仕事)の中で教育されていくことで
日本人のDNAが研ぎ澄まされていく。
その過程が面白いと思った。

明らかに、現代っ子たちである。
全体の為、組織のために死をもって尽くす。
至誠の世界。
現代どこかに消えてなくなってしまったのか
ここ最近見当たらない世界観である。

時代劇のそれの中で、
呼び起こされるものがあるのか…
共感する自分を観察していて、
気付かされた。
まあ僕なりの単純な思考かと思わば思え。
というところもあるのだけれど。

今、環境と言う影響圏、外圧の中で日本人が
恐ろしく変化していると感じている。

どこまでこの流れって進んでしまうのだろう…
そんな恐怖感のようなものが、いつも拭い去れない。
グローバル化する中で、情報過多の時代の中で
日本がどこまで日本として意識に残るのだろう・・・と。

今回、感じたのは、「変化」するということはあっても、
また、誘発される姿は現代のものとしか見えなくとも、
本質の部分には、
「日本人」は生きているのかと、
ふと嬉しくなった次第。

浅草の今日の空

久しぶりの…

そら

11月3日時代祭りの赤い旗がたなびいて
気持ちよい。

昨日の風で何本か折れていたのは驚き。

未確認物体はコレだった!

判った!

判りましたよ。
このキノコ。

これだったのですね。

芸大大学院生による都市空間アート(アートランドコミュニケーション)と言うことでした。

暗闇の中に…

川面の光みたいにキラキラしていた。

すべて隅田川に浮いていたゴミなのだそうだ。

こういうものも、見方によれば芸術になるのだねえ。

視点の捉えかたでいかようにも変化することを
気づかされた次第。