店の前は夢灯籠ストリート

雷門盆踊りがいよいよ!明日雷門前の並木通りで行われます。

TONが実行委員長なのです。
近くの方はぜひ踊りに来てくださいね!

浅草の夏の風物詩は、雷門盆踊りがフィナーレになります。

明日が動的な盆踊りならば、本日は静的な夢灯籠ストリート。

秋田県湯沢市の大灯籠が、浅草に集合して幻想な雰囲気を醸し出します。

火が入ると、とたんに「ザ!日本」に変身です。 おもしろいですね。

一期一会

気づくと後ろにお客様が佇んだ。振り向くと懐かしいお顔。つい気が緩んだ。

半年前(そんなに経っていないかな)ママチャリで亀戸まで出かけたことがある。もちろん仕事だ。
仏壇の電装品がうまく点かない。というご相談を受け、訪問して新しい電装品と取り替えさせていただいた。最近は訪問してまでというのが少なくなっただけに、水を得た豚のように。。。いやいや魚のような気持ちよさで、ふんふん♬いいながら亀戸まで短い足を伸ばしてきた。ことがあった。

ちょうど夏日のような暑さの中だっただけに汗だくで到着。御夫婦で暖かく迎えてくださった。

無事取り付けて後、どうぞとお茶を出してくださったのが奥様。もちろん世間話。TONがチンチン電車キチだと話すと、「むかしはすぐそばに都電が走っていたんだよ」と今は緑道になってしまった小道を教えてくださり、奥様も昔話に興じてくれた。

「4月に亡くなったんだよ」

あえて無表情に語ろうとするがぎこちない。

ご主人の言葉に固まった。

末期の癌だったという。 毎年検査していたのに・・・

思わずぶわっと目から雫が飛び出した。TON。

全く自覚症状はなかった。それが唯一家族としてはありがたかったと言う。

亡くなる3時間前まで自分の葬式の件、子供たちとの会話、、、話し終えて静かに永遠の眠りに就いた。

話し終えると冷静だったご主人も堪りかね相好を崩された。

伺った時、宿題をいただいていた。

早く行かなくちゃと再訪を考えていながら、忙しさにかまけ後回し後回しにしていたTON。

悔いた。

心に浮かぶことは、近々必ず何かある。昔からそうなんだ。

TONは子供の頃からそんなことばっかり。

だから一期一会。

その時で済ませる。後に後悔のないように。しているつもりなのだが・・・

令和にはこんな思いしたくないな。改めて思わされた。

母の日まいり

もう再来週の日曜日は母の日ですね。

TONの子供の頃はお小遣いもないので肩たたき券やお掃除券をカーネーションの絵と一緒にプレゼントしたり、今年は何にしようかと知恵を絞るのが楽しいそんな時期だったことを覚えています。

そもそも母の日って何なの?と調べてみると、亡き母への感謝から生まれた記念日ということがわかります。

アメリカのフィラデルフィアに、アンナ・ジャービスという女性がおり、その母親は1905年の5月に天国に召されました。
母親を深く愛していたアンナは、1907年、支援者たちと共に全国的な「母の日」の普及運動を始めました。そして、母親の命日に、ウェストバージニアの教会で「母の日」を祝いました。これが、5月の第2日曜日だったのです。
次第にこの運動は広まって行き、1911年までには、ほとんどの州で「母の日」が祝われるようになりました。
そして、1914年、ウィルソン大統領の提唱で、議会は5月の第2日曜日を国民の祝日「母の日」と制定したのです。


https://family.gr.jp/mothers_day/kigen.html

なるほど。

母の日参りは理にかなった考え方なんですね。

出過ぎた真似か。。。いやいや。。。

令和に向けていろいろ準備をしていて、こんなことも始めました。

神社になったわけではありません。

お寺でもありません。

念珠堂は念珠堂です。

そして、こういうものも。

今だけでしょうけど・・・

世界の芸人

https://www.youtube.com/watch?v=TcwG4vjEbqI

彼が藝大時代にご縁があって、日本に帰っている時には店に寄ってくれる。

TONもどうしているかな…と思うときに限って、どういう訳だか顔を見せてくれる。

話をしていても夢の実現に、その真剣さに、心が打たれる。

彼はジャグリングは禅なのだという。芸の中に仏教を見出すという。

ジャグリングが1000年続く日本のパフォーマンスだということも教えられた。

驚いた。

商売は長く誠実に

今日おもしろいお客様がおみえになった。

ご来店してからずっと念珠の玉を見比べ、触り、あれこれ物色していらっしゃった。中堅どころのお坊さんというところ。今は手に入らないバラ根の尺二寸の仮通しの玉に興味を持たれ、TONに尋ねてこられたところから話が始まった。

同じ場所にかかっていた他の玉にも興味が移り、一つ一つお答えした。星月菩提樹がよい玉だというところから、以前にうちから古星月の本連を頂いたんですよと言われる。みかん玉のものは、はるか前に入荷して振分に仕立てた記憶がある。しかも100年以上前の染めていない星月菩提樹の珠が運良く手に入れたものだろう。

そんな話をしているうち念珠に興味を持つきっかけは念珠堂なのだと言われる。

え!

自分が中学生の時にこの念珠堂に来て、店長と話をしたのがきっかけで興味を持ったとのこと。。。ますます、えーーーー!

それからもちょこちょこ電話をしたり、来店されたりとめんどくさいことをあれこれ聞かれたのだそうだ。そのたびに丁寧に細かく答えてくれたのだそうだ(TON本人は忘れてる・・・汗)

中学生相手に真面目に答えてくれたことに心が動いたと・・・

ある日来店すると、店長が五色房の念珠を作っていた。自分でも作りたくなったということから、お坊さんの道に歩みだしたということなのだそうだった。

今はどちらにいらっしゃるんですかと聞くと、横浜にある観音霊場の古刹に20年お世話になっているという。

またまた「えーーー!」

そのお寺はTONが小学生の時には遊び場にしていたお寺!

懐かしくもあり、苦くもあり、楽しくもありの詰まった土地だったのだ。

不思議な縁だなぁ。。。。

「お客様とは一期一会」

店を作ったときのTONの標語なのだが、改めて今日、確認しなおさせていただいた。

引き継ぐとは

何年ぶりかで慕わしいお得意様がご来店くださった。

以前は、川向こうにある会社からウォーキングを兼ねて冷やかしに来てくださっていた。店の子も心得たもので辛口のコメントも名古屋商人の商売への真摯さと捉えてそれなりに受け止めていた。そこが楽しく思っていてくださったのか、本当に足繁く通ってくださった。初めにお会いしたのはまだ花川戸に小さな店の時代に奥様とお二人でお見えになったのがそもそもだった。ちょうど今頃の時期だったと思う。ただ、とても寒かった。それから三十数年経つ。若き頃に青年実業家として新聞に取り上げられた記事を商売の心得と手渡してくださった。骨太の青年実業家はいつのまにか九十の坂をとうに越えていた。

足元もおぼつかなくなるほどの齢となっていらっしゃったけど、教えていただいた商売の心は僕の中にしっかり規範となって引き継がせてもらっていますよ。

大切なお客様

左は坂東観音霊場。右は四国88ケ所霊場の御朱印軸。いずれもお客様からお接待していただいたものだ。。

 

今日、不動霊場の胸飾をお仕立てさせていただいているN氏の来訪をいただいてまだできていませんと言い出す前に、来店の目的を告げられた。

お四国のお寺より預かったものだということ、そして当店に展示してくださいとのことを告げられた。突然のことだけに驚いたが、多くの方にお遍路(巡礼)に目覚めていただきたいということの趣旨がおアリだということをお聞きして、それならばお接待していただきますとお預かりさせていただいた。

今夏、藤田氏の主催で高野山東京別院で行われた四国霊場の講話に参加させていただいてから、なんだか不思議続きだなぁと思わされている。

そいえば昨日お話させていただいた、大阪の氏も四国のお先達だが、巡るたびに不思議体験をさせられるんですよと言っておられたっけ。

TONは送り出すばかりでどこか申し訳ないんだと、いつか話したこともあるのだが、ここにいながらお接待を頂けるんだから、どうしてどうしてお大師様はちゃんと見ていてくださるんだなと、少しばかり安堵した。

けど、行く準備だけは怠りなくしているのだ。。。

国をこえる

近くで会合があるのでまた来ます。と残して立ち去られて3時間後に再び立ち寄ってくださった。

引率の通訳さんから話を聞くと中国山西省にある中国の四大寺院に入る五台山の貫主(と呼んで良いのか?)猊下だった。僕が中国に行ったのは、川崎大師を団長にした訪中団で弘法大師が灌頂をされた西安の清滝寺に行った30年前の記憶しかない。

まだまだ中国も貧しい時代で、そのイメージがついつい湧いてしまうのだが、僧衣や持ち物を見ればもう浦島太郎的情報だということがひと目でわかってしまう。

ぼくの恩師のk師は天台の僧だったが、韓国と日本の橋渡し役をずっとされていた関係で、同志にあたる韓国側の寺院にも足を運ぶことが何度かある。初めて合う曹渓宗のお坊さんたちとも初めてとは思えないほどに打ち解けた関係を築くことができた。

仏教徒であるという共通した根っこが、国というくくりをぽんと飛び越えられるのは、仏教の良さというべきなのかもしれない。