久しぶりの額装

きれいに仕上がっていてよかった。

一枚一枚の御影を裏打ちしてつなぎ、金襴裂で仏表装する。枚数が特殊なので額を特注させてもらった。

いつもながらお客様に手渡すまではドキドキしっぱなしなのは抜けない。

きれいに仕上がりなんとか安心はした。。。

ただ、自分が出かけたくなる衝動を止めるのに大変。

逆打ち

案外、念珠堂で表装をさせていただいているのを知らない方がいらっしゃるのに驚く。

そ、そうか。。。

そういえばEC(ネットショップ)のほうにも名刺にも「表装承ります」の案内文を載せていなかったっけ。。。

てなことを思いながら、新しく仕上がって表具師から届いた掛け軸を開いた。

子年の逆打ち。

昨年巡ってこられたんだね。

そう言えば逆打ちのマクリ(白紙のこと)ってまじまじ見てなかったなぁと反省しながらチェック中。

写経のひととき・・・・

コロナ騒動で人と人の接触を自粛せよとのお達しに(正しくは要請であって命令ではないのだが)、人との接触ができないというのはいかにも日本人の井戸端会議的情報交換の場、情の交換場が無くなる辛さはいかばかりかであろうというもの。

人との交流ができないというのなら、神様仏様との交流なら良いのではないかと思ってみたりなのだ。

この期間、どういうわけか写経用紙がよく売れる。

ネットからもそうなのだが、朝に電話を頂いて確かめてからいらして下さる方が多い。

聞くと、普段は忙しくてなかなか書けないからこの時とばかりに、写経紙を求められたのだという。

霊場の札所もこの期間閉じられているし、人の動きも止められている以上家にこもってできることはこれしかないではないか。いやないではないかではなく、今だからできるのだ。

霊場巡りには写経を収めることが必要条件。

夢々空手で回って欲しくないと思うTONの願いである。

巡礼用品コーナー まだ知らない人多いなぁ。。。

念珠堂と巡礼用具のお付き合いは、店を始めてまだ仏壇屋の殻から抜けきれてない時から随分昔からということになる。

テレビに紹介されたことから引くに引けないほど(冗談です)注文を頂いて、コーナーを暫時大きく取るようになり、扱い商品もお遍路だけではなく観音霊場へ出かける人の声に応えるようにしてきたら・・・こうなった次第。

関東一円で品揃えは一番と感じているが、案外ご存知ない方が多くて、中には、

「どこに行けば買えますかねぇ」と電話で質問されたりする始末。

宣伝が足りないのは宣伝にかける予算がないから。申し訳ない。

巡礼に行くのにお足がないって?。。。おあとがよろしいようで。。。。

朱印帳や御影帳
納札も各種。
遍路傘や白衣、手甲脚絆、朱印軸などなど。
白衣や半袈裟、Tシャツ類も。

マスキングテープや見出しに使える付箋など案外役に立つグッツもご用意しています。

旅の空のもとにいて初めて気が付く「あ!あれがあれば良かった」を探しては商品を充実させていくつもりのTONであります。

けどけど、、、、自分が旅の空の下に出れるのはいつのことやら。。。(秩父霊場のあと半分早く満願したい・・・ヨ~~)

もうすぐ巡礼の季節

巡礼に夏も冬も本来ないのだが、実測として菜の花が咲くというあたりからが巡礼に出かけられる方が目に見えて増える。

納経帳での集印に飽き足らなくなったら、観音軸や遍路軸に移られるようである。

納経帳であろうが朱印軸であろうが変わることはないのだが自分のあしあとをひと目で俯瞰できる朱印軸は別物のような気がする。

写真は西国の観音霊場を表装させていただいた。(右はお四国の軸装)

金襴の仏表装には見違えるように輝きを増す。伝統の技の成せるところだろうか。

賜弘法大師号千百年御詠歌御影

令和の改元にあわせて始まった四国お遍路での御詠歌御影授与。           (令和元年5月1日~令和3年12月31日)

弘法大師という諡(おくりな)が時の天皇より賜ってから今年で千百年という。

記念して、令和三年までの間にお遍路をされ納経をされると授与される。

各札所で授与される御影、その一枚一枚を一つにまとめさせていただいた御影額です。

一枚一枚を裏打ちして連結し額装させていただきました。

2000年のプレミアム年の時には各寺院のご本尊の種字(梵字)の御影がありましたが今回は御詠歌が顕されています。

特に苦心部分は御影の合わせ面には筋が見えてしまいますので、細い金箔をつなぎ目部分に丁寧に押して(貼って)上品さを失わないようにしています。納経帳より掛け軸タイプの納経軸は圧巻ですが、こうした御影額もなかなかだと思いませんか。

今日も今日とて・・・

朝にいらしてくださったお客様。

八八ヶ寺を御夫婦でお参りされたということでつい立ち話。

「よくわからないことばかりでしたが巡ってきたんですよ」

とのこと。車で巡ってこられたので歩き遍路の方を追い抜くとき、その度に申し訳なくて心の中で謝りながらいたという言葉の中にこの方の誠実さが伝わる。

よくよくお話してみると、22歳で急死された息子さんのためにお遍路に飛び出したのだという。

仕事を共にし出しもう引き継げると思っていた矢先だったという。突然のできごとにご両親の狼狽ぶりが伝わってきてしまう。

じっとしていると狂いそうになってしまうんです。

目頭が熱くなるのをどう鎮めたらよいものやら・・・

ちょうど昨日にご主人の急死のあと、遺志を継いで家族で十数ヶ寺を巡ってこられたお話を伝えさせていただいた。

「そんなこともあるんですね・・・」感慨深げにうなづいてくださった。

そんな心の重荷を背負いながら巡り、お大師さまに、旅先での人との触れ合いの故に僅かづつ重りを削ぎ落としていくんだな。。。決して悲しみは消えることではないのだけれど、落ち込んだ心の天秤の反対側にプラスの心が蓄積してバランスを戻してくれる。。。これがお遍路であり、観音霊場参りなんだなぁ・・・。

木馬館に観に行かなくちゃ。

代理遍路

令和の改元となり平成と新元号のどちらをも記帳していただくことで御朱印を頂くことの話題があちらこちらで沸騰していた。

中には不届きものが混じっていてお参りした証の御朱印を商品の如くに扱い、仕入れに来たかのように神社仏閣に請求する輩がいるらしい。

ここ浅草においても神社が三社祭りの御朱印を中止する事態にまで発展した。これもブームとしての御朱印集めに対する負の文化と言えるのだろうか。

だが、ここらが、潮目の変化にならないだろうか。

TONはコレクターである。人一倍のコレクター精神が旺盛だ。が、卒業した。卒業してみると本当にサバサバする。清流が心の中を洗い流してくれるそんな感覚がある。

だからコレクターの気持ちもわかる。ただ、現代はコレクションの枠をはみ出して、いや。そもそもコレクションしないのである。横流しするのである。利益を乗っけて。

だから神社仏閣に御朱印をいただきに上がるのも、お参りが種目的ではなく仕入れに行くのである。商売だ。

そろそろ変化しないかな。。。

代理遍路。

お遍路を歩けない方のために知人や友人、長じてビジネスへとなってきて、聞くと、なかなかの代価を伴うと聞く。

今日来店されたお客様が高野山の場合どこに行けば御朱印を頂けるのかと店の子に尋ね答えに窮してTONにお鉢が回ってきた。

同世代くらいのご婦人。ちょっと上かな。

「何にもわからないんですよね」

そう言われて四国を結願されたなら、それくらいの情報は入手されておられるだろうに・・・とちょっと?に思った。

「亡き主人のやり残しなのです」

聞くと、ご主人が中心となってお遍路をされていたようだった。自分は付いて行くことはあっても軸はあくまでご主人。バスのツアー遍路までは奥様もともに行かれたが、途中からは、70歳を過ぎたご主人一人の歩き遍路。

旅の情報も、お遍路のしきたりも、ご主人が培っていったということだった。

70番を過ぎた頃、一度自宅に戻られ、十数ヶ寺を残し鬼籍にはいられてしまった。

「跡をついで家族で廻ったんです」

天国のご主人はどんな思いでいらしゃるだろう。

「奥の院に行かれたらお太師様に報告してくださいね」ご主人が「ありがとう」と答えてくださるだろうことを祈っています。。。