四万六千日

今日は四万六千日。

あやうく通常の日と勘違いしてしまうところだった。

ほおずき市は昨日、今日の二日間本来なら行われ、下町情緒と活気と人情を感じる町浅草ならではの賑わいに溢れるところだったのだ。が、例のことにより例のごとくの状況であり、椅子に座っていられるご縁日なんてこの商売を始めてこのかた一度もない。初めての経験である。

これもニューライフというやつだろうか。

朝の7時です。
善男信女のお参りが朝から多少なりとも多い。
この時間から・・・
内陣には予約した方だけの入場が認められていた。ソーシャルディスタンス。
携帯にはほおずきの屋台はない。ほおずきのない四万六千日ってどこか風景に違和感が残る。これも長いあいだかかって蓄積されてきた文化だからね。こんなことしていたら年末はどうなるんだろう。

今朝の浅草寺

毎月一日は浅草寺境内をお掃除させていただいている。

ここ最近、靖国神社の昇殿参拝には行くことができないので、月替わりは浅草寺の朝課と境内の清掃で切り替わる感じがする。

けれど、このところの騒動で浅草の現状は静寂を保っているわけで今朝はどうだろうと内心ドキドキしながら本堂に向かった。

朝でも昼でもおんなじ光景の仲見世ストリート。。。

桜事情 隅田公園 桜は咲いても。。。

例年ならば桜の咲きだすこの季節になると朝早くから人の出が見られるのですが。

ブルーシートが大手をふるって我が物顔で公園の中を占めていたわけだから、こんなすっきりした光景もなかなか見られない。

上流を望む。左(右岸)が台東区、右(左岸)が墨田区
水戸藩下屋敷跡地にある公園はリニューアルしたばかり。以前は藩邸の雰囲気がどことなく漂っていたのだが。
勝安房(勝海舟)も驚く光景だろう。
提灯も飾り終えていたのにね。。。
八部咲きを超えている。朝の空気は気持ちいい。
桜の枝が横に広く思い切り手を伸ばす。。。

今日から三社祭り

いつもどおり朝ランを終えて神社経由で戻ることにした。

気持ちのよいいい天気。

三社様の神輿蔵が開いて、この期間は三社の神輿をまじまじと拝むことが出来る。 花川戸にいるときは身近すぎてあたりまえになっていたが、雷門に移ってみると、感触が全然異なることに気づいた。同じ浅草なのにね。

もう間もなく。。。

三社祭です。

来週17日から19日(神輿が出るのは18.19日)には浅草は祭り一色になって熱気ムンムンです。まして今年は・・・

そう!令和元年の三社祭。

∴「新帝御即位」の文字が。
祭り提灯にも 。

これは・・・記念になくなっちゃうかな。

浅草のそら2

あんまり迫力があって美しい空に朝から思わず掃除の手を止めて写してしまった。

今日から11月。霜月。お酉様。11月1日はわんわんわんと1がゴロがよく並ぶので犬の日(ちなみに猫は2月22日)。酉の市は寒いと言うのが定説だが確かに寒い。

蒼いキャンバスに描かれる点描の雲は高度が低いのだろうかサーーッと流れては形を変えていく。つい面白がって目で追っていってしまう。

戦災木のイチョウの木。戦前まであった五重塔の脇に当たる。

 

アサヒビール本社を望む。雲の動きが速い速い。。。
雲の動きが速い速い。。。

 

毎月一日は有志で境内のお掃除。

 

五重塔も気持ちよさそう。。。
五重塔も気持ちよさそう。。。

 

弁天山の鐘つき堂も補修工事を終えて今日から本物の鐘の音が浅草に響いた。
弁天山の鐘つき堂も補修工事を終えて今日から本物の鐘の音が浅草に響いた。

明日は雷門前で盆踊り。

当店の商店会の雷門盆踊りと灯篭祭りが始まりました。

今日は小さい灯篭をお店前の通りに飾りました。雰囲気満点です。

秋田湯沢市からの出展です。

 

明日の夕方は並木通りで盆踊りです。

浅草の夏のフィナーレです。

 

四月の浅草寺

TONのルーチンとして月初めは、浅草寺のお掃除会から始まる。

何千回通ったか知れない境内だけれど、来るごとに新しい発見がある。実に楽しい。掃除はそれぞれどこを掃除してもよいのだが、TONはまずこの母子像とも言える母子地蔵をお参りかたがた掃き清めさせてもらう。今月はお祭りでもあったのだろうか白ゆりと真新しいねんねこが掛けられていてほっとさせられる。

なにも身内に満州からの引揚者がいるわけではないが、引揚げ者の惨禍は日本人として記憶にとどめつつ後世に残すべきことと思いが強いからなのかもしれない。

ここもこんなに整備される前から好きな空間なのだが、お寺で手を入れられて開放的な聖域になってますます好きになった。改めてそのお顔を拝顔してみると実に生きている。最近の工場生産で刻まれるお地蔵さまとは、まったく違い、血が流れる表情がなんともホッとする。江戸庶民の発願で彫られた仏様なのだろうが手に触れられるのもいつまでだろうかと頭のどこかによぎったTONなのだ。

浅草寺境内のイチョウのねっこ
花の咲かない寒い日は下絵下絵と根を延ばせ。文字どおりである。

銀杏の戦災木にもまた青葉が吹き出してきていた。

樹齢何百年だろうか・・・戦災木でもあり枯れたかのような古木なのに今年も新芽をこれでもかと吹いていた。
樹齢何百年だろうか・・・戦災木でもあり枯れたかのような古木なのに今年も新芽をこれでもかと吹いていた。

浅草寺宝蔵門と五重塔
浅草寺宝蔵門と五重塔

東京には空がある。

朝は調子が良くて南千住まで足を伸ばしたTONであります。朝の6時はまだ寒い。けど東京のど真ん中にいても夜明け前後の待機は気持ちがいい。

智恵子抄の千恵子ではないが、東京には空がないとTONも思っていた。しかし安達太良山ほどではないがそれなりにうんと待機を吸い込んでみれば、気持ちも良くなる。ただ、通勤の人々が闊歩し始める頃には、どことなく空は淀み出す。だから極力、お日様が顔を出すか出さぬか頃に願わくば外に出ることが日課なのだ。

毎回毎回、同じ光景なのだが、何かしら新しいものに出くわすもので、全てが流転している世の中にあって、昨日と今日は全く同じ、なんて余りにも傲慢な言葉だと思い知らされるのだ。

浅草の川向こうは今はうんこビルがあたり、区役所があったりと変貌しているが、明治の御代になるまでは、細川藩の下屋敷、そこに隣接して水戸藩の下屋敷があった。今はソメイヨシノを始め様々な種類の桜が競い合っている庭園・・・水戸様の日本庭園跡が公園となり目を楽しませる。以前から建つ石碑。ちょうど良い機会と寄り道してみる。なんと藤田東湖の終焉の地であるその碑であることを知った。ほ~である。

 

空っぽの腹の虫がグ~となる。

 

明示天皇のレガッタご観覧の地には顕彰の牌が建つ。レガッタの練習はもう始まっていた。

水神橋まで走ると花桃だろうか、レンゲと二重奏で出迎えてくれた。

花に見とれて汐入大橋まで足を伸ばしてしまった。

宗吾殿消える・・・

御徒町に用を足しての帰り道。必ず通る裏道には寺の軒が連なる。そんな風景を見ながらのんびり帰るのがいつものこと。国際通りを越えると都会の真ん中にありながら異風の建物に出くわす。始め見たときには古臭いお堂。よく生きながらえたものと感心したものだが、よく見れば歌舞伎役者たちの堂々たる名前の玉垣に囲まれ、その聖域が歌舞伎役者の庇護にあったことを物語るには十分過ぎる風情を残す。

宗吾殿といえば、千葉県にある宗吾霊堂を思い出されるが、江戸期にこの地にあった堀田家屋敷の跡地であることの縁(よすが)なのだ。

宗吾殿は、江戸時代の義民で知られる下総国佐倉公津村の農民惣五郎(宗吾)を供養する堂です。惣五郎は佐倉の農民(一説に名主)で、重税に苦しむ農民のために直訴を図り処刑されたものの、当時の佐倉藩主であった歴代の堀田家は惣五郎の霊を絶えず弔い、享和五年(1803)に宮川藩堀田家の屋敷地であった当地に建てられた霊堂が現存しているといいます。

昨日もしばらく通らなかったこの道を急ぎながらも風景を期待した。

大通りを渡り一区画目の角に・・・ない。

なにやらマンション建築中の覆いで囲まれていてお堂も庫裏も何もかもなくなっていた。

我が目を疑い、「あれ?道を間違えたかな」そんな思いを持ち周りをキョロキョロと眺めなおすが、どう考えてもここだ。「文化財にしても良いようなものなのになくすわけないよなぁ~」独り言を言いながらしかたなく店に帰った。

調べてみた。

間違いなかった。

けど・・・・

ストリートビューを開けてみると、確かにあった。2017.9。去年の9月には確かにあった。が、今はない。

古い話だが、2011年10月にたまたまここの持ち主にお会いしたことがあった。門も塀も3.11の地震の影響で崩れてしまい、途方にくれていると話してくださった。修理費を捻出するのもたいへんだとつぶやいていた。

これだけのものが個人で管理していたのかと初めて知ったわけで、尚更どうしているかと心にかけることが多くなった。

浅草宗吾殿の在りし日の姿
去年暮れの状況。足場パイプがめぐらされていて、なるほど解体準備だったんだなと今更気づく。

過去をさかのぼってみると、2011年の日記も残していた。

江戸の名残がまたひとつ消えた。

ここも・・・・