朝ぶら

父親が亡くなった時の年齢を越えないといけない。

が、そもそも朝ランを始めたきっかけ。14年前の一念発起。

そうとうヤバイ線まで体重が加速度的に増え始め、このままでは父の寿命を越えられない。越えたとしても様々な制約がかかった中での生き方になってしまう。親不孝はしたくない。今思うとなんとも単純な発送だったのだろう。

こうすればあぁなる。あぁすればこうなる。生の情報はお客様から頂いて蓄積してきていた。お金が掛かっては続かない。考えた挙句に出した答えは朝の時間をパソコンの前に座る時間を歩く時間に変えようというものだった。当時はネット販売に情熱を燃やしていた(今でも変わらない。。。はずだが)から朝の3時4時起きはおてのもの。それにぜい肉がプラプラする姿は公衆の面前に出したくないじゃん。

ってことでまずは歩いた。とにかく黙々と早足で歩き回った。2月の寒風の季節に始めたのに汗びっしょりになった。2ヶ月もすると体が軽く感じるようになって試しに走ってみた。走れた。調子こいて3kmが5kmに5kmが8kmに10kmに。雨の日も雪の日も構わず走り月200kmがコンスタント。どこまでも走りたいという気にさせられるようになったランニングハイと呼ぶらしい。で、故障。治る。故障。治る。故障・・・・の繰り返し。

ついに持病の腰が悲鳴を上げて上げたついでに膝まで道連れに。10mも歩けなくなった。ちょうどコロナ騒動に突入してしまった。が、諦めきれない。

歩き出した。で、今がここ。

浅草とは恵まれた場所だ。東西南北どっちに向かって歩いても何かある。職業柄、寺や神社には自然と足が止まる。大名屋敷跡の地には何らかの祠が残っていることが多く、江戸切絵図と照合したりして江戸の昔に思いを馳せたりしては好奇心が刺激される。

まぁ、しばらくは朝ブラでいいことにしよう。

今朝は南に向かった。

近くにも花柳界ならではの小さな神社が控えている。
隅田川テラスの魅力はこんなところ。橋のリベットの幾何学的模様を見ては昔の職人の技に感銘。

浅草のそら

初夏の日差しにタチアオイも眩しい。
川沿いには倉庫が並んでいるだけの景色だったのに、こじゃれた店が軒を連ねる。

しばらく来ない間にすっかり下町らしさが消えかけていた。

あちこち空き地が見えるが、もう計画は建てられているのだろう。以前は暗い用水路にしか見えなかったんだけどね。

そんな途中に小さな祠があるのだから、押上村をふと感じさせてくれる。

ここだって鄙びた裏道でしかなかったのに。。。
再開発の真っ只中だ。