浅草のそら  堂上げ堂下げ

3月17日今日、明日は示現会。
細かく言えば旧暦の今日、浅草浦にて二人の漁師が引き揚げた観世音菩薩と思わしき仏身を土地の郷士だった土師中知に上奏したのが祭りの発端。1400年前のお話である。

以後連綿と続く訳だが大したものだと思う。

祭りとしては5月の三社祭りに譲り純宗教行事として示現会は再興した。
が、今夕の堂上げ(浅草神社の本社神輿が浅草寺本堂内に上がる)。明日の堂下げで行事は終わる。

決して神道なのに、仏教なのになど野募は言いこなしである。
明治の神仏分離令なんて野募がなければ、寺と神社は仲良しだったのだから。

ちなみに、今の浅草神社の宮司は、土師の子孫になるのだと言うことは知っておいてほしいものだ。

浅草のそら

川べりは寒いと見える。よく日の当たるはずのここでも真っ赤に熟した果物のようなのに花弁が開いているのはごく僅か。それでも開いている方かな。

浅草のそら 三月一二日

そう。。。今の時間はどうしていたかね。。。と昨日は一日中、一刻一刻の時を気にしていた。

昼の二時四十分ころに昼飯を食べ始めて、あ!そうだあの時もこうしている最中にぐらっときたんだ。時間も同刻くらいでまさに「今」を感じた。
夜、ニュース番組の特集で東北の復興地域を映していた。TONも支援品を車に積んで出かけあまりの自然の猛威に変貌した町に足を踏み入れ慟哭したその場所だった。

アナウンサーは震災後の土地の嵩上げの様子を、テレビのこっち側の人々に悲喜こもごもの思いをさせようとアナウンスする。落涙させれば成功だったのだろう。
今を見ればいいではないか。今はそこが現在進行形で最良な姿なのだと考えて進まないといけないだろう。
今を善しとして明日を見ることが最良なのだから。

震撼としてもの音一つ感じさせない町の様相に鳥肌が立った。。。

大船渡にて

浅草のそら 嗚呼、東京大空襲

三月十日になると、この事以外頭に浮かばない。
何と言っても意識しだしたのが小学校の低学年。しかも当時はまだ横浜の住人。
何で意識し出したのだろうか。覚えていない。横網公園と墨田公園は慰霊の場所心に焼き付いている。
横浜大空襲はこのあともう少し先の五月二九日の午前というから。。。真昼間に空襲とは驚く。すでに制空権はなくなっていた、もしくはよほど手薄になってしまっていたと言う事なのだろうか。

今朝の予定は隅田公園にある東京大空襲の殉難者の碑を朝ブラのコースにしていたのに見事に寝坊した。
でも今日は朝から雨。

雨のおかげで多少心の負債が和らげた。雨もこういう時は役に立つ。

それにしても雨の三月十日は珍しいなぁ。

うそっしょ。。。

念珠直しは勉強の宝庫。
今は積極的に何処かの仏具店の下請けやお寺の営業がてらお預りまでしてお直し品を集めることはやらなくなったが、どこかで内の噂を聞いて直しの依頼は後を絶たないでいて下さるのはありがたいこっちゃと思うTONなのであります。
自分が作った念珠なら知れたものだが、京都だの山梨だの大阪だの中国だのと、ところ変われば癖変わるで、実に多彩でバリエーション豊富で面白い。
そうやって過去の積み重ねはみ~~~~んなTONの勉強材料となった。だからちょっとやそっとじゃ驚かなくなった。

わ~~~~!なんじゃこりゃ!

言ってるそばから久しぶりに驚いてしまった。
日蓮宗の水晶の念珠だ。
玉はまばらな穴を除けばしっかりと磨かれてて文句はない。中糸を通そうと親玉の縛り部分に目をやるとななんか変。結びがないのだ。
ぐるっと一周した糸は裏房の親玉から糸を出して結ぶのだが、、、その結びがない。

よく見るとネックレス製作でおなじみのつぶし玉を二個つぶした状態で親玉にくっついている。

こ、こ、これは!

ということは、糸を通す穴ぼこにはワイヤーが通っている?
予想通りぶっといワイヤーが何の欠損すり減りもなく生きていた。ワイヤーが白黒まだらに見えるところは水晶が削られてのことだ。
ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここまで来たか。これじゃないと切れると思ってそうしたのか。。。よくわからない。けどね。