浅草のそら 今日は母の日

1907年(または1908年)頃、アンナ・ジャービスが亡き母を偲んで教会でカーネーションを配ったのが始まり。
なんだって。

日本へは日本に母の日が伝わったのは、明治時代の終わりごろとされています。大正時代に入るとキリスト教関係者の間でカーネーションを配る母の日のイベントがおこなわれるようになり、1931年には3月6日が母の日として制定されました。

一般的に母の日が普及したのは、大手菓子メーカーである森永製菓が1937年に「森永母の日大会」を開催したことがきっかけです。1947年には、5月の第2日曜日が正式に母の日として制定されました。戦後の昭和

ん~~なるほどね。

勿来 50年前の記憶

この季節になると小野新町から勿来までの阿武隈地方を走った記憶がよみがえる。


勿来に出る川沿いというか谷あいの国道には、見事な鯉のぼりが谷をまたいで何百匹も吊るされていた。今ではあちこちで見受けられるようになったが当時は思い当たらない意外な光景だった気がする。

そんな勇壮な姿に感動したのを昨日のことのように記憶している。


自転車は決選用に作ってもらったズノウのコロンバスモデルに、当時出始めたばかりのパナソニックのWO(ワイヤードオン)を履かせた。
旅なのだからWOのタイヤにしたのだ。快適なツーリングになるだろうと予測。
が、これがいけなかった。

100㎞や200㎞ならチューブラの練習用のタイヤで十分だったし、和気あいあいのクラブランのポタリング程度の走りなのだからなんでわざわざ、しかもホイールも直前にWO用に組み直し(もちろん自分で)て、何でも新しもの好きのくせが出た。だれも使用したことのないニューバージョンを練習なしでいきなり本番に持ち込んだ格好だ。
この報いは二泊三日の道中、繰り返し繰り返し受けることとなる。。

パンクに次ぐパンク。五回や六回で済む話ではない。泣きに泣かされ続けることとなったのだ。

快適に見えるがあのカーブを曲がればまたもや観舗装路。

旅の最中の鬱積を見事に消し去るほど、雄大で清々しい光景が、谷わたりの何百匹のこいのぼりだったことは間違いない。途中の記憶は断片的にしかおぼえていないのだが、ご褒美の谷渡りの幟の清々しさだけはしっかり記憶されている。

浅草のそら

ここ最近の鬱積した雲の動きが一気に撹拌されたような気持ちの良い空模様でした。