天賦とは

おはようございます😃😃😃朝ドラのエールが実質今日で終了。ちょっぴりロスとなる。

主人公の懐古の中で音楽が内側から溢れてきて譜面に写すだけなんだ。

若い学生(まぁ学生は若いか・・・)が、隠遁し音楽から遠ざかっている主人公裕一の家を訪ね、どうして新しい曲を書かないのかと、問い詰める場面があった。裕一の一言「音楽は頭の中であふれ出ている。でも余生は自分の中で楽しみたい」という件に、ふと僕の好きだった新宿のお寺の庵主さんを思い出した。

庵主さんは音楽家ではなかったが旋律が天空から燦々と降り注がれ溢れ出す人だった。

音符も書けない中、小学生用の楽譜に女学校時代の音楽の授業内容をたぐりなががら、つたなくも譜面に落していった。

書き留められなくて何曲も無駄にした。一流の作曲家、声楽家、文化人を驚嘆させる音律を生んだ。洋の東西をも越えて感動させた。

天賦の才能とはそういうものなんだなと傍から見て教えられた。

神仏を越えた超宗教の曲作りだった。ゲーテの詩をのせることもあった。子供向きの曲に特に熱心だった。もう十年早く世に出したかったと本人は事あるごとにTONに漏らした。崩れいく現代人の情操に警笛を鳴らしたかったのだろう。天才とは頭の良い人を指す言葉ではない。天から与えられた、預かった才能ということ。そうしたものはやっぱり世の中に出さないといけないんだと思う。

あなたにとっての天賦の才はなんでしょうかと問われてるみたいだった。さ、今日もがんばろ。

冬バージョン

夏は木の素材のものは極力避けてる。

好きな香木も暑い季節は家でゆっくりしている。

この季節になるとそろそろ懐かしくなってくるのだ。

四半世紀はとっくに越えているのにプンプンしている。腕につけたとたん冬だ。冬が来たと脳が勝手にギヤチェンジしてくれる。

沈香独特の特性は鎮静効果にあることは案外知られていない。

昨今のコロナ騒動でイラつく気持ちをこれに頼ることのありませんように。。。と願うTONなのだ。

切りっぱなしの表面が肌に擦れてテカテカになっちゃった。30年以上経つと表情も変わるものだ。

相棒

ここのところ膝も腰も、少し走るだけで痛みが来るようになってしまったので、ウォーキングでずっとごまかしている。が、やはりスキあらば走り出したいTONなのである。

父親の他界した歳を越えるのに平々凡々とした生活をしていては越えられそうにないと我ながらの思い込みから始まった朝ランも気が付けば15年になろうとしている。

小学校5年の時、初めてのマラソンの授業があるのに朝飯も取らずに出かけようとする愚息に牛乳ぐらい飲んで行きなさーい。と声をかける母親の言葉を忠実にも履行して、ゴクゴク慌てて飲んでいった瓶牛乳。ゴールを目の前に、あと数メートル・・・というところで、公衆の面前で、グランドにぶちまけたあの忌まわしい記憶を払拭するうえでも、是非とも消し去らねば。トラウマ消去の意味も心の奥底にあったTONの朝ラン。

今日は一つのお別れをした。

相棒の一つとのお別れ。何キロ走ったろう。一ヶ月180kmのペースだった時だから2000kmはゆうに超えている。1年で卒業じゃないからね。それを4年以上で履きつぶしてる。靴底も剥がれてボンドで留めてなんてだから、もうぅぅぅ悲鳴を上げていたのだろうと思う。の。さ。

さらば。靴。

考えればとっくにお払い箱なのかもしれない。けど相棒だから。。。

ちょっと明るく写ってるかな。
浅草は寺町だということを忘れないで欲しい。駒形堂は観音様が川(当時は海)から引き揚げられた故事に則って建立された。
ちょっと感傷的になったりしてね。。。
朝の日差しはホントいいよ。。。
すいません。お見苦しいものを。。。

お彼岸風景

秋の彼岸になると決まって子供の頃の墓参りを思い出す。

TONの父親はTONが3歳の時に亡くなった。

押しかけ女房だったという母を肯定的には取れなかった父の実家とはほぼ疎遠状態だったのだが、こと人の生き死にの問題となれば、一肌脱いでくれるのではとの母の予想を裏切るかたちとなった。

遺骨をどこに収めるかその場所がない。

著名な大学を主席で卒業した前途有望だった夢多き父の死に様は人からの借金には快く応じない銭まで調達して出したおかげで文字通り無一文状態であった。すべてを母が肩代わりしていたという有様で、葬儀を終えた時には500円札一枚が一家の全てであった。

もちろん墓など買う余裕どころか、明日からどう暮らして良いか途方にくれた。
下げたくない頭を下げに実家に出向いた。嫌味の数々を受け流しながら父の遺骨は本家のカロウトーの片隅に預けられる形となった。結局そこが13回忌を迎えるまで菩提を弔う安着の場所となったのである。父としては肩身の狭い思いをしただろう。母の口癖だった。それは同時に、実家への複雑な思いを代弁する母の想いの言葉だったと今では思う。

春の彼岸、秋の彼岸と田無にある父の実家への墓参りが始まった。

TONが覚えているのは5歳のこと。二つ上の姉に手を引かれその姉の手を母が引き、まだ西武線が高田馬場を始発にしていた頃であり、山手線に乗り換える必要があり、渋谷駅の迷路の中を右往左往していた母の心細さが電信のようにTONの心にも伝わった。
あとは断片的にしか覚えていない。

ただ、当時生活の足となっていた東横線とははるかに垢抜けせず田舎の電車だったこと。
風景も田舎の風景の中をとろとろ走っていたこと。目的の花小金井の手前の駅で時間調整のため長く待たされていた記憶。ホームから改札へは駅内踏切があったこと、墓前の花を買った駅裏の花屋がなんとも田舎臭かったこと。駅前は未舗装のまま、雨の日の墓参りの時は足元に難渋した、などなど、なんとも田舎に来たなぁと子供心の印象だった。

父の学生時代は一山越えて出かけると、たぬきが出てきて先導してくれたという話があながちでたらめではなかったんだなぁと十分納得できる環境だった。

はじめの一、二年の母の付き添いも、そのうちお前たちで行っておいでとなる。それこそ大海原を羅針盤一つで大航海した船乗りの心情だ。。。

今思えば居候の立場でしかない父の墓参をするたびに母の思いはいかばかりだっただろうか。それが理解できるまでは数年要した。TONにとってのお彼岸の墓参は父への供養もあるけれど、母の心情のトレースでもあるのかもしれない。

秋のお彼岸を迎えると、川辺に咲いてた彼岸花の赤色と田無の駅の待ち時間、突き抜けた青い空に遥か高所をトンビがのんびり円を描いていたのんびりした風景が脳裏に浮かんでくるのだ。

いつもご愛読ありがとうございます。。。

昨日いらしてくださった高野山真言宗の若きお坊さんと立ち話をしていると、「TONちゃんってあなたですか?」と尋ねられる。

「はい。そうです」と素直に答えるが、話はそれでおしまい。

風体と文章が違うなぁと思われたのか、よくわからないが、このブログを読んでくださっていることは理解した。

目黒の若旦那もよくチェックしてくれているし、観音様裏の某青年もしっかり見ていてくれて新作をアップすると、ほぼ間違いなく次の日には仕事帰りに見に来てくれる。整体師のY氏や坊さんになったTさんやあの人やこの人様々な分野の方から「読んでますよ」と声をかけられてしまうと、つい力が入ってしまう。

けど読み返してみると、ここ最近はお空の写真ばかりが目立つ。撮りも撮ったりで12年間分蓄積されているのは我ながらしつこい奴じゃの~と思えなくもないけれど、本当はもっと書く事がここ浅草には山ほどあるのだ。それに念珠や仏像の新作もそれなりにあるにはある。

が、ここのところコロナ騒ぎの余波を受けて、新作を作る遊び心が湧いてこないかったのも正直なところ。

困ったものだ。ん?何を困ったものだ?というのだろう。書く気持ちが萎えていたとしたらコロナごときに負けていいのか。と。ね。

ふっと思いついた次第。冗談じゃあないよ。。。。

ブランドということ。。。

時々、店の前に出てはボーッと周りを見る。

お客様の目線で自分の店を見つめ直すといえば聞こえは良いが、ちょっと息抜きも含まれるのは言わずと知れたこと。でも案外良い発見がある。マンネリ化した自分の目や自分を包む空気を一回リセットすることは大事なことだと思う。

目の前のミフィーの花屋さんはコロナの影響で暫く休業を続けていたが営業再開を果たし、同時にジュースガーデンという新たな事業を展開した。

転んでもただでは起きないというのか可愛らしいキャラクターに似合わずなんとも逞しい。

そんな商店会仲間のお店をなにげに見つめていると、若い子達が手にした何かを掲げたり、ミフィーちゃんの前で手を伸ばしたり変わった行動が目に付いた。

何やっているのかなぁ。。。と。

ん?

あ!あぁ~~~~~。なるほど。そういうことね。。。。

で、こうなったしだい。

我ながらミーハーだと思うよ。全く。

でもこの図はないよね。商品が全然面白くなくなっちゃう。

このロケーションではキティーちゃんが全然映えない。

やはり、、、、こうなる。

インスタに上げているのだという。

こうだから映えるのだ。僅かながらの非日常とでも言うのだろうか。

キティーちゃん効果は凄まじいわ。

でもうち(念珠堂)にだっているからね。

僕ブランドなの?

経典装丁比較

左が金襴、右が緞子。

だいぶイメージが異なります。

文字の大きさ比較。

下は「法36」縮刷版のポイント(4mm角)。上は「法34」のポイントサイズ(6mm角)。

通常版と縮刷版の大きさの違いです。

通常版は上下二巻に分かれています。

ますく

毎朝100mの店までの通り道に大手のドラッグストアーがある。

開店時間前だというのに長蛇の列が日課になって久しい。

浅草は人気店に人が並ぶのは見慣れた光景だからスーパーや飲食店なら平和な光景として受け入れられる。けれどいわば薬局の前に人が列を作るというのは、安穏としていられない見逃せない光景だ。TONは困った時の友頼みで欠かすことは何とかしのげている。

将来この文章を読んだら何のことかさっぱりかもしれんないなと思いつつ主題を書いていないでいる。

子供の時は一つマスクがあれば洗濯しながらボロボロになるまで使っていたが、不織布のマスクが現れて大切に使っていた時代のことなんて記憶のどこへやらである。

そんなに手に入らない貴重品ならもっと大切に扱えばいいのに。素朴な疑問。

そんなに手に入らないなら自分で作っちゃったらいいのに。

ちょうど雑貨のメーカーの社長と話しがてらそんな話題になる。

今、ガーゼ生地の商品が飛ぶように売れているの。と言う。TONのところへは般若心経タオルなどをいただいているメーカーだが、守備範囲が広い。探してみると足元に良い素材がゴロゴロしていた。今度ためしに作ってみようとマスクの型紙も頂いた。

いっちょやってみるか。。。。

絵心経のマスクなんてね。

幻になっちゃった。。。

ここに来てはどうでも良いことだけど(出場者にはとんでもないことでしょうが・・・)

ずいぶんお金使っているよね。

いただいたグッズは全部あげちゃいましたが、そうだね、ここまで詰めてきた側や走り込んできた側は、たいへんなことでしょう。

でもホッとしている者も中にはいるのかも。。。

とにかく早く新型コロナウィルス収束してくれないかな。。。

これだけあればなぁ。。。沈香

TONがこの仕事を始めた頃は、線香屋の営業マンが香木の善し悪しを見てもらうとき決まってすることが、沈香の欠片を手に取って、おもむろに取り出したライターを着火してもったいなくも焦がしてくれたものだった。

今では信じられない光景が展開されたものだ。

ベトナムの最上級も紫油も緑油も含めた数種類から泥と呼ばれる低価格の沈香まで、寺営業廻りを主にしていた当時は見本は欠かせないツールでそれぞれ在庫も切らすことはまずなかった。その見本の生き残りだ。

今時の最上級と言われる沈香もかなわない当時は普及品。

今の時代夢のような沈香揃いだ。