そうだ!母の日。

もうずいぶんあげてなかったな。。。

上さんのお母さんも、TONの母親も震災の後、続けて亡くなってしまったから。。。

仏壇にカーネーションの香りをあげることにしよう。とは思うけど。

目の前で直接受け取ってもらえる方がもっといいよな。。。

受けてくれる人がいると言うことは、幸せなことなんだ。

受け取ってくれて「わー!ありがとう」と言ってくれることは、自分自身が喜ばしいことなんだ。幸せとは人を介して人からもらえるものなんだ。

母にわたせないということがこんなにつまらないこととは。。。。。

お盆なのだが。。。

お盆のいろはですが案外知られていないのが実情です。

以下はある方のブログからお盆の起源についての記事を拝借した。

お釈迦(しゃか)様には十大弟子がいる一番弟子は舎利(しゃり)弗(ほつ)で、智慧の第一者である

二番弟子は目蓮(もくれん)で、神通力(じんつうりき)を悟って如来(にょらい)になった。神通力とは 過去・未来 

そして相手の心さえ、見通すことができる能力である。

神通力を得た目蓮は、最初に母親の事を考。えた、もう他界しているが無事に天界に着いているかどうかずっと気懸りであった。そこで目連は、得意の神通力で他界した母親を見ることにした。仏教では人の住む世界を六つに分けている、いわゆる六道である。上から、天界・人間界・修羅(しゅら)界・畜生(ちくしょう)界・餓鬼(がき)界・地獄(じごく)界生前、自分にはとても優しくて立派だった母親だからきっと天界にいるだろう。そう思って探してみるが、一向に見当たらない。ひょっとしたら 人間界かも知れないそう思い必死で探してみるが 人間界にもいない。修羅界にも畜生界にもいなかった。落胆した目蓮は なかば諦めながらも、餓鬼界を探してみた。そこでようやく自分の母親を見つけることができた。餓鬼界は地獄界の一つ手前である。餓鬼界にいる母親は、いまや見る影もなく痩せ細り 骨と皮ばかりである。自分は釈迦如来の弟子だから母親を救うことくらい容易いはずだ。そう思い神通力でご飯を渡そうとするが母親が手に取る前にパッと火がついて燃えてしまう水を渡そうとしてもすぐに煮えくり返えってしまい 到底飲むことが出来ない。しかも 母親は逆さ吊りにされている目連は母親を助けようと試みたが、結局 手も足も出なかった。困り果てた目連は 釈迦如来のところに相談に行った。「どうか私の母親を助けてください」と必死ですがる目連に釈迦如来は「お母さんは助からない」と静かに告げた。「なぜ あんなに優しかった母が餓鬼界に落とされてしまったのでしょうか!何かの間違いに違いない」一所懸命に 目蓮は聞き返す「母として子供には尽くしただろうが他人に布施をしなかっただから助からない、諦めよ」!それでも目蓮は納得できない。何としても母を救いたいと、執拗(しつよう)に釈迦如来に尋ねた。「方法は一つだけある。七月十五日は坊さんが百日の修行を終える日、伝道(でんどう)に出るから、お坊さん方に供養(くよう)してみなさい」その言葉に従って、目蓮は精根(せいこん)をこめて供養したすると、もうムリだと思っていた母親が救われたのである。あまりの嬉しさに目蓮は、母親と抱き合って踊り狂った。それがお盆の供養、盂蘭盆会(うらぼんえ)と盆踊(ぼんおど)りの由来になっている。人間は、ついつい貪(むさぼ)る欲がでるものである。それでは幸せになれないので仏教では 布施をしなさいと教えている。

という。

お盆はみんなで楽しい思いだけをするためのものでも、旅行に行くだけのものでも、まして盆休み中を寝て過ごす日でもない。

父母、先祖に孝庸を尽くす日なのであること夢々悪るるべからずなのだ。


蟻の町のマリア

浅草界隈は住んでみるとえっ!と驚くことの多い町だ。

浜っ子を生涯捨てる気はないTONとしては、この町に迎合する気はさらさらないのだが、ふと懐かしい横浜の子供の頃の空気感が漂うときがある。野毛のドヤ街、馬車道から伊勢佐木町へのごちゃごちゃ感、吉浜町あたりのだるま船の溜まり場、水上生活者感・・・いまだにここ浅草で懐かしくて立ち止まり振り向いてしまう一瞬すらある。そんなことがここを離れられなくなってしまった一因なのかもしれない。
もう横浜では感じられない空気、見当たらない光景。

蟻の町と聞いてピンと来る人は地元の人でも少なくなってしまった。

浅草、下谷地区合わせて約350ヶ寺の寺がひしめき合っている。関東大震災や先の大戦で引っ越してしまった寺院も多いが、各宗派の坩堝となっているのは事実だ。おまけに10万人の遺骨を預かる東京慰霊堂がお隣の墨田区にはある。新宗教も軒を連ねる。まさに宗教、慰霊の群雄割拠の地なのだ。

以前、「蟻の町」不思議を響かせるその名を聞いて何処のありやとあちこち探し回ったことがあった。なんのことはない灯台下暗し、毎朝早朝に走り回っていた隅田川沿いのコース上だった。戦争被災者など廃品回収の人々の部落とでもいうバタヤ部落。バタヤという言葉も死語の部類か。。。

そんな彼らが肩を寄せ合って住んでいたコロニーの一つが蟻の町だ。

その部落に単身飛び込み神様の愛を実践し若くして昇天された清い命もあった。

そんな浅草も知っておいてほしいなぁ。。。

https://www.youtube.com/watch?v=JcQzJctAxuE

生きる。

大きな幹を切り落とされてても。。。たくましい。
雅子妃殿下に因んだ桜木「雅」が芽を吹いていた。 向島にて。
以前なら向島の町会有志のテントが軒を連ねるはずなのだが、ぼんぼりの姿も見ることはない。
枝がこんなに落とされちゃっちゃぁ・・・桜本来の美はどこにいってしまったかわからない。

記憶の糸とは

そうだったのだ。

10年前の今日を思い出した。石巻の猫島に行った日だった。

浅草から10tトレーラーで大猫のオブジェと支援品を持って商店会の仲間と藝大の院生とで足を伸ばしたんだった。

人で賑わっていたであろう石巻駅前のスーパーも商店街も地盤沈下と津波と内水の影響で見る影もなく荒れ果て、小高い丘の上に不規則な石ころが転がっているかのように遠目に見えたものは凝視すれば墓石の成れの果てだった。子供たちが渡っていたであろう小学校前の歩道橋はその上部までゴミが引っかかったままだった。

夕べ車内で仮眠した石巻港の渡船場で朝眼を覚ました時の光景の凄まじさは生涯忘れることができない。

大好きな潮の香りも流れ出たオイルと相まるとこんなにも嫌な臭いに変化するとは、凄まじい光景と相まって記憶にしまいこまれた。初めての経験だった。

でもまだたった10年前の話か。。。

猫島は1mの地盤沈下で港が使えない状態。オブジェを船から下ろせるかがまたまた問題。
大船渡に北上する途中での光景。思わず泣いた。

お彼岸に思うこと

今日はお彼岸の中日。

お日様が真東から真西に沈む。今日を境に昼夜の時間が逆転していく。

もともと仏教には彼岸という概念はない。まして先祖供養などという概念もない。が、日本の古くからの習慣(縄文のころからの)が仏教にとりいれられていくことで仏教の専売特許のようになりつつ外国の神様そのものが受け入れられていったはしごの文化だ。

自分の家系を代々遡って図に表したことがある。

40年ほど前、戸籍法の規定で80年以上の保管義務が役所になくなると知って、慌てて近くの役所の戸籍係から、親の故郷の役所の戸籍係に走りまわった思い出がある。

原戸籍の写しをもらうはいいが、これが難解甚だしい。当時の役人たちの達筆な文字を読み解くところから活字になれた現代っ子の目にはなかなかのものであった。

が、読み進めていくとこれが至っておもしろい。一人の人生の概略がほんのりと読めてくる。

何処の何人兄弟の何番目の生まれでいつ嫁にはいり、いつ出ることとなる。読み進みずに書き写すうちにすっかり虜になった。歴史小説を読むよりよほどスリリングだ。

私という結果が、最下部に置かれる。そこのひとつ上段に父と母がいる。その上段に父方の祖父と祖母がいて、母方の祖父と祖母がいる。それぞれが精神面までは読み取れないが(兄弟関係や家族状況を想像すれば性格的なところはおおまか理解できるが)、その大まかな生きた証は伝わってくる。

大正期の祖父母の代まででも7人。戸籍で読めるのは江戸末期からだから7代254人ということになるわけで、一人欠けても私は生まれてこない。

そんな調子で考えていくと天下分け目の関ヶ原の時代で20代前で2,097,150人。

室町時代あたりで30代として 2,147,483,646人。20億人を超える。

その中に栄枯盛衰があっただろう。どんな生き方をしたのか知りたくもあるが聞きたくないこともあるかも知れない。ただ、これだけの人々の血のバトンタッチの末に「私」があるということなのだ。

環境与件は遺伝しないとTONの学生時代の生物の授業では教えられたが、現代科学はとっくにそうした考えは破綻して、環境与件もDNAにしっかり書き込まれているのが常識になっているようだ。私の中の深層部を紐解けたら何十何百何千どころではないご先祖様の生きた証が読み取れるようになるのかもしれない。

まずはともあれ、お線香を手向けなくちゃ。

柳の下には。。。

何がいる。

何かいる?

あれだけ世間を賑わした鬼滅の刃ゆえにさぞかし多方面に渡ってのコラボ商品が雨後の筍のごとくだろうとタカをくくっていたのだが、TONの業界ではどことなく大人しい。

何度かお線香ありませんかと鬼滅の刃を謳うお香を探しにこられたお客様がいらっしゃって、見たことないことを正直にお伝えした。

過去には、龍馬伝や真田幸村や西郷どん等々のコラボ商品を販売させていただいた経験から、これだけ世間を騒がせたんだから、コラボが出ないはずはないだろうとタカをくくっていた。

ネットで見たのですがおいていませんか?の声が度々耳にするようになって、こちらの勉強不足かと思うようになった。調べた。あった。

メーカーと企画会社のコラボでダイレクトにその名を使えるのは一社だけ。しかも今回は直売のみ。ということがメーカーへの聞き取りもあってようやく理解できた。これでは手が出せないじゃん。

でもね、商魂たくましくお香メーカー各社はやってましたよ。

えらいね~~。たいしたもんだ。

でもどこも藤の香り。

TONは映画も漫画も見たことないから藤の香りをモチーフにするのかわからない。

なんて人のこと言ってるけど。。。。ね。

こんなのも作っているんだよ~~~ヽ(*´∀`)ノ

沈香ボ-ルペン

お寺訪問に忙しくしていたころのだ。

もうインクが使えなくなっていたけどどうしようかな。自腹で何本も買ってこれたんだからまだまだ沈香も白檀も材料が豊富にあった時代だったんだよね。

今じゃとてもじゃないけど作れないや。

天賦とは

おはようございます😃😃😃朝ドラのエールが実質今日で終了。ちょっぴりロスとなる。

主人公の懐古の中で音楽が内側から溢れてきて譜面に写すだけなんだ。

若い学生(まぁ学生は若いか・・・)が、隠遁し音楽から遠ざかっている主人公裕一の家を訪ね、どうして新しい曲を書かないのかと、問い詰める場面があった。裕一の一言「音楽は頭の中であふれ出ている。でも余生は自分の中で楽しみたい」という件に、ふと僕の好きだった新宿のお寺の庵主さんを思い出した。

庵主さんは音楽家ではなかったが旋律が天空から燦々と降り注がれ溢れ出す人だった。

音符も書けない中、小学生用の楽譜に女学校時代の音楽の授業内容をたぐりなががら、つたなくも譜面に落していった。

書き留められなくて何曲も無駄にした。一流の作曲家、声楽家、文化人を驚嘆させる音律を生んだ。洋の東西をも越えて感動させた。

天賦の才能とはそういうものなんだなと傍から見て教えられた。

神仏を越えた超宗教の曲作りだった。ゲーテの詩をのせることもあった。子供向きの曲に特に熱心だった。もう十年早く世に出したかったと本人は事あるごとにTONに漏らした。崩れいく現代人の情操に警笛を鳴らしたかったのだろう。天才とは頭の良い人を指す言葉ではない。天から与えられた、預かった才能ということ。そうしたものはやっぱり世の中に出さないといけないんだと思う。

あなたにとっての天賦の才はなんでしょうかと問われてるみたいだった。さ、今日もがんばろ。

冬バージョン

夏は木の素材のものは極力避けてる。

好きな香木も暑い季節は家でゆっくりしている。

この季節になるとそろそろ懐かしくなってくるのだ。

四半世紀はとっくに越えているのにプンプンしている。腕につけたとたん冬だ。冬が来たと脳が勝手にギヤチェンジしてくれる。

沈香独特の特性は鎮静効果にあることは案外知られていない。

昨今のコロナ騒動でイラつく気持ちをこれに頼ることのありませんように。。。と願うTONなのだ。

切りっぱなしの表面が肌に擦れてテカテカになっちゃった。30年以上経つと表情も変わるものだ。