未確認物体

小雨の中、墨田公園を久しぶりに通ると

ん・ん・ん・ん
?・?・?・?・?・・・

知らぬ間にインディアン・・・?
これはいったい・・・?

いったい・・・

咲き乱れているよ・・・

キノコのような・・・
ぶよぶよしている・・・

なんじゃこれは・・・

だれかおせーて。

出開帳

浅草寺五重塔院で秩父観音霊場の出開帳が行われている。
数日前にお客様から教えられ、灯台下暗しと早速走って出かけた。

相変わらず人ごみの境内を横目に、五重塔院へ。

外人客も多い。寺族も多い。巡礼者らしき人も多い。
こちらも人人人。

ちょっと一息。

秩父から地元の無形文化財も。

つい納経帳と経を買ってしまった。
売るほどあるのにね。

年輪

お客様も20年お付き合いさせてもらうと
何を考えているか、話さずともわかる。

下手をすると肉親より長くお付き合いさせていただいている。
韓国俳優のヨン様がよく自分のファンをファミリーと口にするけれど
よくわかる。

僕にとっても、念珠堂に訪れてくれるゲストを
心の中ではいつもそう思うもの。
年上なら、お姉さんお兄さん、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん
年下なら、弟、妹・・・
接している自分の心持ちにその心に染まってさえいられれば、
いくらで売ろう儲かろうなどとは、決して思えない。

「どう良くしてあげれるだろう」
「どう喜んでもらえるだろう」
「どう解決してあげれるだろう」
そんな気持ちしか湧いてこない。

逆にそんな気持ちが湧いてこないときは、自分がいけない。
まったくやりきれなくなる。

仕切りなおさないと、店を開けていても意味がない。
怠惰な仕事として店に立ちたくない。
黙っていても過ぎ去る時間をむさぼるような生き方だけはしたくない。

いつもながら、そんな思いにさせられる。

そして時々年輪を刻んだねと驚きを隠さないで励ましあえる。
そんなお互い様を言い合いたい。

ごくあたりまえのことをごく当たり前に行なえる
そんな店でありたい。

店(ここ)をかわいがっていただいて
ファンになってくださった全てのお客様に
ファミリーでありたいな。

と、つくづく思う。

懐かしい本が出てきたよ.

事務室の書棚があふれかえって雪崩が起きている。
とにかく本が多いのだ。
もうあきまへん。

がさごそ片付け始めた。
書棚をひっくり返していると、
30年近く前に買った「性格推命術」という本が出てきた。

動物占いのようではあるけれど、もう少し詳しい。
一時は、あれやこれやせっせと友人のを調べたものだ。
いつか埃にまみれていた。
改めて見ると、今更ながらよくあたっている。

ちなみに僕は、「月から来た哀愁のうさぎ」という判断。

昔月に住んでいたウサギ。地球に馴染めずどことなく落ち着きがないのも憂愁の霧がかかって見えるのも遠い故郷を思うため。特異な勘と閃きを持ち独特の世界をつくり上げる跳ねるような行動力もありますがへつらったり妥協しないために、地球人に誤解されもする。お人好しで、短気衝動的で刹那的気まぐれ皮肉屋なのに合理的な理論家。いつも喧騒の中に出かけては孤独をかみしめ明日こそはと月に帰る日を夢見るロマンチスト・・・

要するに周りからは理解されにくい気まぐれ屋ということ。
糸が切れた凧とでも言うことだろう。
思い当たるふしはありありだ。

ついでに上さんは、「機織り牛」という。

おぼろ月夜の明かりに照らされて糸を紡ぎ、丹念に機を織っては倉にしまいこむ堅実な牛。よほど切羽詰らない限り、無謀な危険を冒したりはしない・・・

要するに粘り強く超堅実なのだ。

よくまあ!切れた糸を紡いでくれている。
水と油が一緒にいるものだ。

けれど、面白いことに実姉も、
昔お世話になった先輩も同じ「機織り牛」なのだ。
どうやら僕には、ブレーキ役、修復役が
必要ということなのだろうかな・・・

そんな目でみてみると
結構、補完関係にあったりするんじゃないのかな。

良く考えてみると

依頼されたものだけど
かわいい組み合わせと思う。

念珠のパーツってちょっと視点を変えてみると、
丸玉あり、みかん玉あり、平玉あり、そろばん玉あり、露玉あり、
ボサ玉あり・・・
ありとあらゆる玉が用意されている。

彫り玉にも骸骨、蓮、羅漢、七福神、ハート型、切子・・・
とこれもまた様々ある。

コレを組み合わせていけば、どれほどのバリエーションになるだろう。
念珠のパーツだから、念珠や腕輪に仕立てないといけない
と言うわけではないのだから、

心惹くものを制作するのに不足はないなあ。