四国番外20ヶ寺のお念珠

四国お遍路に出かけられて机や仏壇に眠ってはいないだろうか。
これは、別格20番札所廻りのときにいただく念珠玉だ。
一ヶ寺一玉づついただいて満願すると20玉手元に残る。

で、その玉を付属の紐で通してつなげば立派なお数珠に仕立てあがると言う寸法。
けれど、以外にそのままと言うケースが散見される。

ここはやはりプロに任せてくれないかしら…
と気楽に思うのだけれど、本当は、自分で念珠を仕立てるのも修行のうち。
(なんてことを書くのは自分の首を絞めるようなものかな?)
とも思いつつ…すいません根が正直なもので…

紐房では飽き足らない方には頭房や他の方法もお勧めします。

バランバランの玉を親玉を中心に、順番どおり根気良くつなげていきます。
玉の上下を間違えないように。

そして、編みこみ終了。
ここまでくれば完成間近。

そして完成!

自分でまわられていただいた玉ならば、
なおさら愛着が湧くというもの。

勤勉の哲学

江戸時代初期の禅僧、鈴木正三(すずきしょうざん)は「萬民徳用」の中で
「人々の心の持ち方が自由になり、人々が心の世界の中で自由に振る舞うことができるようになるためならば、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるもよし、座禅をしてみるのもよし、さらには、そんなことは何もしなくても、毎日、自分に与えられたそれぞれの仕事に、精一杯打込んで働いていれば、それが人間として完成していくことになる。」
と、世俗的な職業に励むこと自体が、仏道修行であると説いている。

商活動イコール仏道修行
農活動イコール仏道修行・・・

日本人の行動規範には、そうした仏道修行つまり人格形成の道が
その勤勉さと深くかかわっている。

お釈迦様の生きておられた時代には、出家集団である比丘や比丘尼がおられた。
と同時に、優婆塞(うばそく)や優婆夷身(うばいしん)の男女の在家者もいたわけで、お釈迦様の言葉はそれぞれに語られたようである。

しかし、現在に伝わる経と呼ばれるものは、釈迦入滅後、弟子によって編纂されたわけで、
在家信者に語られた言葉は、そこには表されなかったと記憶している。

戒にしても律にしても、出家者のそれであって、在家信者に向かっての言葉ではなかったことを考えると、職業を懸命に勉ることが、仏道修行であると明確にあることは
在家者にとって、何より励みになることなのだと思う。

近江商人の行動規範を作った石田梅岩の石門心学(せきもんしんがく)には、
商人が儲けを生むことの正当性をしっかり謳っている。

一番やりたくなかった商人を転換させてくれた古人の思想。
ふっと思い出した。