ハイブリット電車の実験車が開発されたという。
日本の技術陣は進んでるねえ!
架線が必要ないということも考えられるとか。
ミクシーの友人の日本のものづくりを称えた言葉が
本当にうなづける。
ただ、それを報道していた内容で気になった。
というか、気に障った。
「架線がなくなって『景観の向上』になる」と
テレビでは説明していた。
「架線があると景観が悪い」誰がそう感じたの。
その一文を聞いて、またかと思ったのだ。
路面電車ぞっこんのBooちゃんです。
為政者が故郷横浜の市電を全廃させたとき、
社会の論調=マスコミの論調は、
「路面電車は消え行く時代遅れなもの」だった。
事実、電車の一番の売りであるはずの定時運転は、「
軌道敷内通行可」でマイカーで溢れていたし、
一路線、二路線と網の目のように張り巡らされていたネットワークの一部でも欠ければ利便性は恐ろしく劣化する。
不便な乗り物であれば利用客が減るのは当たり前。
交通計画が間違っていたのだ。
マスコミの題字には、「モータリゼーションに対し邪魔者」、
「時代遅れ」、
「景観の悪さ」…
と散々叩いたものだった。
路面電車のよさは、網の目のように張り巡らされた路線網、ネットワークのよさであり、乗降のよさ、乗り心地のよさ、定時運行のよさ、ランドマークとしての役割、経済的な建設費、公害問題、都市の活性化、防犯上の利点・・・いくらでも上げたらきりがない。
あの個人主義の国アメリカやフランスで復活し始めているのは、何より良い例である。
路面電車は、赤字赤字と赤字の権化のように言われていたが、
見てみい、横浜のバス路線をはじめ、大赤字やないか。
時の責任者、都市交通内での路面電車の位置づけをどう考えていたんだ。
併行してバスをバンバン走らせ、ドアツードアの利便性をまくし立て、軌道敷内のマイカー進入を許し、過去の乗り物のレッテルを貼り、逆風をさらにまくし立て激風にした。
両手バンザイで受け入れ、尻馬に乗って論調をさらに強めたのは誰だったの?
広島や長崎といった民間がその激風の中、生き残りをかけて企業努力をしてきた。
架線のある風景を「景観の悪さ」と決め付ける。
また持ち出してくる、この古いフレーズ。
ほんとうに辟易する。