約束

久しぶりに…本当に久しぶりに
大島から船に乗って、Toおじいちゃんが来店してくださった。
2時を過ぎるとお店のピークを迎えるが、
人混みの中に懐かしい顔がニコニコ僕を見ていた。

通院のために東京に出て来られたのだが、
ぼくと交わした約束を果たす為、貴重な一日を使い、
曲がった腰で、杖を突きつつ来店してくださった。

彼は特攻隊の生き残りの一人。
彼の父親は、戦後生きていれば、戦争責任を追及された一人かもしれない。
現に家族でGHQの目から逃れる為に、逃避行をせねばならなかったという。

それだけにToおじいちゃんから伺う話は、文字に残せない、
生身の人物像と歴史を伝えてくれる。
いつもオフレコ談話なのだ。

海軍時代は180cm、90kgを超えていた巨体も、
今では僕よりも小さくなって、蘭の好きな善き翁である。

学徒出陣は、どんな思いで出兵したかを聞くが、
「今の平和の世の尺度では、戦争時のことは、はかれないよ。
同じ戦争へ行ったものでも、特攻はさらに尺度が違う。
だから、特攻帰りの人間は、理解してもらえないから、
しゃべらなくなるんだ」

と、漏らした言葉が「ずしん」と心に響いた。
でもぼくには、戦争前後の経緯、身内の話しとオフレコ話しをしてくださる。

「じゃあまたね」と曲がった腰を痛そうに伸ばしたとき、
すでに、外は夕暮れ時だった。

昔の名前(フレーズ)で出ています。

ハイブリット電車の実験車が開発されたという。

日本の技術陣は進んでるねえ!
架線が必要ないということも考えられるとか。
ミクシーの友人の日本のものづくりを称えた言葉が
本当にうなづける。

ただ、それを報道していた内容で気になった。
というか、気に障った。

「架線がなくなって『景観の向上』になる」と
テレビでは説明していた。

「架線があると景観が悪い」誰がそう感じたの。
その一文を聞いて、またかと思ったのだ。

路面電車ぞっこんのBooちゃんです。
為政者が故郷横浜の市電を全廃させたとき、
社会の論調=マスコミの論調は、
「路面電車は消え行く時代遅れなもの」だった。

事実、電車の一番の売りであるはずの定時運転は、「
軌道敷内通行可」でマイカーで溢れていたし、
一路線、二路線と網の目のように張り巡らされていたネットワークの一部でも欠ければ利便性は恐ろしく劣化する。

不便な乗り物であれば利用客が減るのは当たり前。
交通計画が間違っていたのだ。

マスコミの題字には、「モータリゼーションに対し邪魔者」、
「時代遅れ」、
「景観の悪さ」…
と散々叩いたものだった。

路面電車のよさは、網の目のように張り巡らされた路線網、ネットワークのよさであり、乗降のよさ、乗り心地のよさ、定時運行のよさ、ランドマークとしての役割、経済的な建設費、公害問題、都市の活性化、防犯上の利点・・・いくらでも上げたらきりがない。
あの個人主義の国アメリカやフランスで復活し始めているのは、何より良い例である。

路面電車は、赤字赤字と赤字の権化のように言われていたが、
見てみい、横浜のバス路線をはじめ、大赤字やないか。

時の責任者、都市交通内での路面電車の位置づけをどう考えていたんだ。
併行してバスをバンバン走らせ、ドアツードアの利便性をまくし立て、軌道敷内のマイカー進入を許し、過去の乗り物のレッテルを貼り、逆風をさらにまくし立て激風にした。

両手バンザイで受け入れ、尻馬に乗って論調をさらに強めたのは誰だったの?
広島や長崎といった民間がその激風の中、生き残りをかけて企業努力をしてきた。

架線のある風景を「景観の悪さ」と決め付ける。
また持ち出してくる、この古いフレーズ。

ほんとうに辟易する。

上野に来るといつもここ

台東区内なら、まず雨が降らない限り愛車で出かける。
人間エンジンのママチャリが交通手段。

極力、車は乗らないから、排気ガス条例で泣く泣く手放した四駆の
代替で購入した、ワゴンの一回目の車検で走行メーターは7000km。

整備のおにいちゃんから「もっと走ってあげてよ」といわれるほど
まったく走らない。

おかげでバッテリーが上がり気味だとか注意されるほどだった。
お金にならないお客でごめんね。

「お国のために油は使わない」のではなく
疲れるから乗らないの。

その点、自転車は楽しい。
上野までママチャリで走っても、10分もあれば着いてしまうし
駐車場もいらないし、おまけに脂肪も燃焼するし、と
いいとこづくめだ。

で、上野にでると、決まってこの一角によることにしている。

コリアタウンだ。
焼肉屋やチョゴリの店もそろっていて
居場所がどこかを錯覚する。大阪や川崎ほどではないけれど
なんとなく、それらしい空気が漂う。

寄る店、買うものは、いつものきまり。


ずーっとこればっかり。
ゴマの葉を味付けしょうゆに漬けただけなのだが。
旨い。

よくまあ飽きないで、20年も食べ続けてると思う。
あったかいご飯と一緒に食べてごらんって。

あー。早く帰ろう。っと。

夢よもういちど。

「14歳の母」が、センセーショナルな話題を提供している。
お母さん方の関心をさらっているようだ。
子供に、
「見せる」「見せない」
お母さんだけじゃないよ。

booも関心もっているのだ。

「何でこんなときに、放送すんかいな」とね。

「失楽園」の時もそうだったけれど
本当に、いい作品だと思う?
問題作という切り口から、
世間様に衝撃的関心事となったことはたしかにあった…

それで何が残ったんだろう。
考えちゃうのはbooだけかな。

品行方正という言葉がくさい言葉のように扱われる。
夢を語ることが斜に構えられる。
汚しがなぜか流行る。

おかしいよ。
「一人ぶつぶつ言ってるよ」
「テレビに文句言ってもしょうがないでしょ」
妻は、「歳をとったのね」といわんばかりだ。
だから、一人パソコンに向かいコツコツ書いている。

子供の頃は、子供の時間の番組には
夢が溢れた番組が多かった。
善悪ももっと単純だった。

正義は必ず勝つ。悪者は滅びる。
これがいいんだよね。

「正義も時として悪になる」を子供に理解させるの?
「夢では食べていけない」とブレーキを踏ませるの?
ほんとうに大変な世の中だ。
と、子供のうちから教え込ませる…

それこそ、夢がなくなっちゃう。

揚げ足取りの笑いばかりでなく
もっとペーソスの効いた笑いがあってもいい。
少ないよ。

ちょっとね。

通り初です


ついに、ついに、ついに!

この浅草の、こんな小さな通りにまでやってきた。
宇宙人にも認知されてる、下請け駐車員さん。

黙ってみていると、慣れないのかなあ
随分時間を要している。
運転手来ちゃうよ。
心の中では、どっちも応援している。ぼく。

メジャーで測って、
写真を撮って、
何かしら機械に打ち込んで、
〈遅い、遅すぎ〉

隣のすし屋が
「つかまんぞー」
大声出して救助する。

ここは、そういうところなの。

通り初は、お預けとなる。

今、はまっていま酢

昨日5本目をつけたばかり。
青ジソもろみ酢。

しばらく凝っている。

何って…。
これです。

「ためしてガッテン」で一目見て惚れました。
ただ、飲み易すぎて、しそがつかる前に
なくなっちゃうのが悩み。

つかるとこんな色になるのです(右)。
改めてみるとスゴイ色だね。


これ見ると泡盛の絞りかすから作るということだから
芳醇な感じなのかな。

飲み始めてから疲れにくい感じで
調子がいいのは実感。

買い足すごとに、メーカー産地を替えながら
全銘柄を飲んでやろうと決めている。

副産物として、
実は、痩せるというのだ。

まああてにはしていないけれど
(少しは期待しているけれど…)

うまいから続くのだろう。

今度は、ノン黒糖でいってみよう。

やってみました

ミクシーの友人のお勧めにちょっとのっかった。

「すごい」
と聞くと、つい野次馬根性の本性が現れます。
何でも首を突っ込むboo店長であります。

まず占いに相当するものは信じない人なのですが
(じゃ何でサイトに載せてるかって)
ご愛嬌です。

そこで、
久しぶりに占いました。
 
姓名運勢判断
でぼくの結果。
当たっちゃってる・¥・

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■総画 「50画」
特殊な技術を磨き堅実に生きることにより運を好転できる注意数―人生設計をしっかり立てることで幸運に
●運をさらによくする秘訣
特殊な技術を身に付け、それを磨くこと
夢におぼれず謙虚な気持ちで堅実に生きること
能力に恵まれ、若いときから一目置かれる存在になります。しかし、大人になると思い通りにかない事が多くなるため欲求不満になりギャンブル的な行動に走ります。しかし、結局うまくいきません。堅実な道を進むよう心がけてください。普通の人とは目の付け所が違うので、変わった能力を持った人として注目されることを望んでいます。団体行動や人に合わせることが苦手なので、特殊な技術を磨いていける環境を選ぶべきです。人生設計をしっかり立てることにより満足でき、ギャンブル的な行動に走らなくてもよくなります。

(適職)
技術者・特殊な個人として身につけられる技能的な仕事・宗教家

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転職する前は、土木技術者だし、
へそ曲がりで、YESと言えない人だし、、
謙虚じゃないし、
うまくいかないと、一か八かにおちるし…

人生ゲームも何度破産しただろう

そんなことで、
今の職業が、どうやら適職…天職のようです。

あと残るは、宗教家。
そんな柄でもないしなあ…。

父の記憶

11月には、福島お寺で開かれる、
お餅つきに行きたいと思い、
仕事を前倒しし、なんとか消化しようと頑張っている。

つもり。

今月は、父親の命日でもあるのに、(ん?48回目…)
我が家の墓所は、福島よりさらに先になるため、
遠距離を理由に今年も無沙汰している。
そして、来年ね。と、もう決めてかかっている。

53才で逝ってしまったのだから、当然というのか、
幼かった自分には、父の記憶は全くない。

愛煙家で、タバコが「いこい」くらいの記憶しか残っていない。
そして、そのタバコの火が原因で、やけどをしそうになったらしい。

ぼくが。

そのショックから、ひきつけをおこし…というか、

「もう息してやらない」と、今風に言えば「切れた」記憶がある。
そこの部分は、しっかりと覚えている。

始めは苦しかったのに、だんだんと、気持ちがよくなっていくのも覚えている。

「息していない。大変だ」まわりのざわめきも覚えている。
慌てたのは、父であった。

息が止まり、青黒くなっていくわが子に、大慌てとなった。
と、後日談で聞かされた。

母にこっぴどくしかられた父は、当分、禁煙を迫られたという。
「こいつは、恐ろしい」これも父の言葉だった。

もうすぐ、その父の歳に近づこうとしている。

矛盾 その三


写真だけアップしていて、
説明文を書くの忘れていました。

交差点から5m以内は、駐停車禁止では?なかったっけ。
法の意義って何なのかなあ。
ここで左折するとき、ちょっと危なかったょ。