粋と無粋

英語が苦手なくせに興味があって
NHKのしゃべらナイトをちょこちょこと見ている。

商売上、海外のお客様の対応に困らない為、
必要に迫られという事もなくもない。

でも強制的に勉強するのでは、全く身につかない。
面白いが一番なのだ。

今日の番組には、日本に住む著名外国人による、
フリートークで、日本の良さをディスカッションしていた。

日本は世界に誇れる良さを限りなく秘めている。と分析していた。
日本人よ、もっと自信を持て。とも主張していた。

彼らが日本に感じる魅力の一つに、「粋」ということをあげていた。
少々驚いた。

禅宗の修行も考えると粋の世界の極みだ。
青い目の禅僧はかなり多い。

何気なく「粋」とは何かを調べてみた。
広辞苑には、
「気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること」
また、「遊里・遊興に関して精通していること」と、
わかったようなわからんようなことが述べられていた。

僕なりに考えると「内に秘めて平然を装う」姿に粋を感じること。果てしない奥行きを持つ個の確立した人格を想像した。

粋に対する反対は、無粋だろう。
無粋つまり、「粋で無い」「粋が無い」

やたらとあるものをひけらかす。
金であったり、能力であったり。
また、場の空気を読めない、気配り出来ない人間、

古日本人は、それを無粋といった。

外人たちが、日本にあって海外にない「粋」に興味を持ち来日する。また伝えたいという。

その日本人が、拝金主義、に陥り、粋を捨てている。
抑制の方法を知らない欲望は、味噌もくそも手中に収めようと画策する。行き過ぎた欲は、相手の命をも奪うをよしとする。無粋の極みなりだ。

粋の中に生きていたら、己の了見というものを見極め
必要以上に求めることはしない。

自己主張もいいのだが、無粋にならぬ程度の控えめさは遺したい。

貧乏人の小倅のせいか
「武士は食わねど・・・」の中に
今だに粋を感じる。

春がやってきたよ

10時少し前、開店準備に小走りで店に向かう。

シャッターの前に、見覚えのあるお日様のような方が待っておられた。
よく見ると福島のS師。
そこにおられるだけで、小太陽のよう。
ぼくよりお姉さんのはずなのに、身のこなしが軽やかだ。
それだけでも、パッと春の陽光があたり、春風が吹いた。

何やら大きな荷物をかばんから出され「はい」と、
手渡されるや否や、挨拶もそこそこに「用事があるので」と、その場をあとにされた。

そーと開けてみた。

春が詰まっていた。

こーんなに、心のこもった「春」は、久々だ。
いつも驚かされてしまう…

戦い終わって頭ピカ

正月も終ろうとするころには、なでてくれる皆の手のおかげで
いつもピッカピカになっているょ。

これがぼくの本当の姿さ。

人の手とは、
凄いもんだと、ことさら感じちゃう。


みんなの手の暖かさを、うんと感じたお正月でした。

目標のための目標

昔から感動屋のぼくは、何か事あるごとに「これも吉日」が多かった。逆に考えれば、感動しないと動けなくなる。適当なところで(しょっちゅうかも)、給油が必要なのだ。

正月。初日の出。
なんてシチュエーションには、しっかり心の中に、風景と気を叩き込んで、それにからめながら「よし!」を決める。
その為には、決まって海に足が向かう。

冷気に触れながらお日様の顔を見る。

最近なんか足りないなと考えてみると、朝夕の海を見ていない。
陸に揚ったカッパの如く生活をしていることに、書きながら改めて気付いた。

よし。今年は朝夕の海を見よう。

ん?これって今年の目標?