ようやく正月のための販売員の手配が終りほっとした。
いつもながら、暮れから正月にかけては、
浅草寺への〆の詣でと初詣の人の波が押し寄せる。
向かえる側もそれなりの用意をしないと。
と思うのだけれど、毎度の事ながら気付くと年を越えている。
何もしないままスルーしてしまっても
別段どういうこともないのだが 、
除夜の鐘を聞くその瞬間まで、
「やり残し」はないかと何故もこう心が急くのだろう。
年が替わるといっても、
グレゴリオ暦上のことであってイスラム暦や和暦では、
替わるわけではない。
開き直って考え直してみれば、
昨日から今日に替わるだけのことである。
・・・なのだけれど、
忙しなく心の中では「今年中に」と「何か」を探すし、
「来年には持ち越せない」などと、膨大な仕事量を決めている。
と思いつつ、後半に入った暦を見ながら、ため息をつく。