雲がいっぱい。
気温はあまり上らずというところでしょうか。
羽子板市は今日まで。
羽子板を持った人が本当に少ない。
納めの観音には来ても、門前の市は賑わうだけ…
ちょっと寂しいなあ。
羽子板に対しての意識の部分…
魔を祓う、厄を祓うという部分が
すっぽり抜け落ちちゃっていんじゃないのかな。
形骸は残っているけれど、なぜ持つの?何故必要なの?
の部分が欠如してしまっている。
いまどきの建物で羽子板を飾るスペースが…
なんていうことではないような。
でもこれは、仏壇業界にもおんなじことが言えそうでもある。
なんで仏壇を飾らないといけないの?
仏壇を飾るスペースが…
なあんて、まじめに考える人はまだしも、
はじめから、話題にも乗らないなんてこともざらだろう。
あんまりにも身近にありすぎたゆえに
その存在の大きさに気づかないものって多いように思う。
日本の文化のたがが外れたら、元には戻らない。
でもそういう前兆って、
じわじわ身近なとこから迫っている気がする。