浅草の空

クリスマス当日なのだけれど
さあ、ホワイトクリスマスになる???

雷門はすでに、正月準備完了。

クリスマス

わ~い。
今日はクリスマスイブだ~~。

「そんなのかんけいねー」って?風神くん。

帽子どっかに飛んじゃった~~。

             flom nekobusさん

浅草の空

雨は上がりはしたけれど、
すっきりしない天気が一日続いた。

天皇誕生日で休日。
クリスマスイブの前日が天皇陛下のお誕生日とは
神様も粋な計らいをするもんだ。

と同時に、今日は戦犯と呼ばれたかの大戦の戦争責任を問われる形で
東条英機首相以下7名の方々が
巣鴨プリズンの刑場にて法務死された日でもある。

日本人が忘れえぬ日とせんがため、GHQによって
次の天皇にあたる当時の皇太子の誕生日に処刑日を当てたという。

そこまで報復しなければ気がすまないのだろうか・・・

あいにく、今の日本国民の何人が極東裁判を認識しており、
戦争責任者を戦勝国側(日本人ではなく)が、
しかもあってはならない事後法で裁き、
断頭台の露とさせたかを覚えているだろうかと思う。

図らずもと言うのか、予想以上にというのか、
当の日本人が、自己の歴史をとっくに忘れ去っていることが

実に皮肉に感じるのだ。

震える

宿題を頂戴しているY氏の訪問を受けた。
突然というか、店を開けているのだから、
まあ当たり前の話なのだけれど、
宿題を忘れた子供と同じで

きっちり仕上がるまでは、どことなく落ち着かないものなのだ。

ご本人はそんな気はサラサラないのはよくわかるのだけれど
借金をしているようで妙な気分である。

簡単な挨拶をし、ちょっとした仕事の依頼を受け
さらに話をしていると、
おもむろに胸元から黒い塊を取り出した。

ここが銃社会でなくてよかったねとは冗談であるが
何を大切に懐に忍び持ってこられたのかしらと
目を凝らしていると、目の前で大事そうに開封してくれた。

おーーー!!

言葉にならない。
感嘆符が三つも四つもつきそうになる。

こんなに感動したのは、
うちのオリジナル1号である浅草観音を彫ってもらったとき以来である。


(人の作なので手を加えさせてもらいました)

日本の仏師の作になるが、
風が吹くという感覚と言ってわかって頂けるだろうか…
一陣の風がどこからともなく、そよっと吹くのである。
すると、背中にジンと何かが走る。

思わず手を合わせたくなる仏像…
理想形である。

何も言葉など要らない。
ただ、手を合わせたくなる。

こんな仏像・・・いつになったら彫れるようになるかな。

槐(えんじゅ)の腕輪に光明真言

槐(えんじ)の素材に、光明真言を彫りこんだ。

玉の製作から始めたので
時間がかかってしまった。

ちょっと光がかぶって青みがかってしまったけれど、
現物はもっと落ち着いている。

なりたい…なりたくない

冬はゴジラに変身する。上さん。

忙しくなると猫になりたくなるBoo。

昔は(大)虎になったこともあったし、

(デ)ブタにもなった。

犬のように忠義に懸命だったときも。
蛇のような狡猾さを磨いたときもあった。
キリンのように高望みしたこともあるし。
鼠のように懸命に走り回ってもいた。

バクのように未だずーと夢を食べ続けている。

ただ、ゴキブリ(亭主)だけにはなりたくないものだ。

どきどき、はらはらは、天の計らい?

いつも、はらはらどきどきしている。

オーダーの念珠も仏像も。お直しも。
製作物って、リスクが大きい。

できて来るまで、実物はないのだから。
計画図面はあっても虚像でしかないわけで、
頭の中でイメージは膨らんでいく。
お客様も創る側もお互いに。

できあがって現実を目の前にしたときのリアクションが、
その評価となる。
職人として、企画者としての真価が問われる。

いつも開けてみるまでわからない。
お客様はどんな評価を下されるだろう…
どんな表情になるだろう…

出来たものを見ていただいて、
「こちらですね、はいどうぞ」と売るだけの商売は、
どんなに楽だろう…
と、となりの芝生がいつも青々して見えてしまう。

でもね、人間一番恐いのは「慣れ」だと思う。

販売している姿を見ていても、
なれない新人のうちは、お客様に使われる。

お客様とどう向き合ったらよいかわからないから、
商品知識も乏しい中で、出来ることは体で奉仕することとなる。
何をどうしたらよいかわからずお客様に顎で使われる。
がぜん汗を流す。

でもそれがいい。

慣れてくると、自分が動かずに、
お客様を自分の側に引き込もうと作為的に動こうとしだす。

それでは絶対!ダメなんだ。

お金を頂くことは、至誠が必要だと思う。
それがなければ、自動販売機でよいのだから。
(最近の自販機にはおまけや当たりくじがつくこともある)
物+αなのだ。

だから、いつもどきどきはらはらしていられることは…

慣れさせない、腐らせないための天の計らいなのかもしれない。