最近、お客様と接していて時々返答に困ることがある。
「どれがいい香りなの?」
「伽羅は高いからいい香りなのでしょ?」
ん~~・・・
たしかに伽羅は僕にとっては好きな香りの一つだ。
けれど、1グラム一万円だからいい香りだと思ったことは一度もない。
ただ、好きなだけだ。僕にとって。
NHKの解体新ショーという番組で、香りの不思議をテーマにしていた。
匂いを嗅ぐと昔の記憶が他の感覚より特出して新鮮に蘇るのか、
ということをテーマにしていた。面白いと思った。
いつか取りたい資格に臭気判定士という資格がある。
その概論を読むと、まず匂いという不思議なメカニズムが紹介される。
匂いを嗅ぐと匂いにまつわる情景が誰でも想い出されることだろう。
それは音楽にしても、つまり聴覚から入る情報にしても同じことが言える
また、味覚も同じこと。
五感は、そうした過去の記憶と密接に結びついているのだ。
その中でも臭覚は、その情景のみならず、
その時の心理状態までも他の感覚を伴って複合的に引き出される所が他の感覚との違いなのだ。
何故そうなるのか・・・
答えを言えば、匂いの感覚は、古い記憶のメモリー装置であるところの
脳の海馬(かいば)組織にダイレクトに働くことがわかっているのだ。
海馬と感情をコントロールする扁桃体(へんとうたい)組織は隣り合わせて深く関わりあっていると言う。
だから、香り、匂いの断片が鼻をつくと、
それにまつわる記憶と感情部分までも複合的にフラッシュバックされるのだという。
小学校の6年まで車酔いとの戦いに明け暮れていた僕は、
トラベルミンなどという洒落た薬を飲むよりも、正露丸一本やりだった。
一途さは聞こえはよいが、母の正露丸信仰が万能薬として、
確固たる地位を占めていたに過ぎない。
遠足などバスに乗る機会には、
救急薬として必ず持たせてくれた。
だから、今でもクレオソートの匂いを嗅げば、
バスの車内の様子、「西海君かわいそう」「またかあ」「がんばれよ」などと外野の声も、友人の顔も、窓の外の風景も、手に取るように思い出す。
カレーの匂いを嗅げば、食卓の楽しさと団欒の暖かさ、
ひとりでモクモクと食べていても暖かい気分にさせてくれる。
人それぞれ、その香りに対するイメージは全く異なる。
いつもひとり寂しくボンカレーを煮て食べていた悲しい過去を持つ人ならば、カレーの匂いを嗅ぐたびに、なぜかしら、その寂しさが湧いてきてしまうからどことなく避けようとするだろう。少なくとも楽しい気分にはさせてくれないだろうから。
だから、お香は10人いれば10人、100人いれば100人、1000人いれば1000の嗜好が生まれて当然なのだ。
これは高い材料を使用して懇切丁寧に作ったのだからいい香りです。
これは京都の香司が創った伝統の香りなのだからいいです。
便宜上使用するときもある・・・
けれど本当は、ありえないと言うことなのだ。
自分にとって何がいい香りなのかは自分の心が知っている。
あなたにとっていい香りかどうかは、あなたの頭の中にある海馬に聞いて欲しいということなのである。
だから、万人がこれはいい香りと認められる香りは?というならば・・・
お母さんの香りとでもいうのかな・・・