回向
回向・・・えこう
ということ。
人が亡くなって花を手向(たむ)ける。
香を手向ける。
経を手向ける。
心を手向ける。
手向けること。つまり回向すること。
この仕事を始めた頃、親しいお坊さんに教えてもらった。
どういうシチュエーションで伺ったことか思い出せないが
最近本尊を祭らず、位牌壇になっている仏壇が多いことにあきれて
そんな話題になった。
坊「供養ってどういうことかわかるかい。
あんたが、仏様に一歩でも近づくことが供養なんだよ」
TON「僕がですか?」
坊「仏さん(死者)は、もう手を合わせようにも合わせられないんだよ
だから、その分もあんたが変わりにあわせることさ。
あんたの心が仏さま(お釈迦さま)に近づいたらその分功徳はあんたに来るじゃないか。
『その功徳は結構です』と思うんだよ。そうして仏さん(死者)に振り向けて下さいと願うんだよ
それが回向と言うものさ。」
「そう、振り向けること、回し向けるって書くじゃねえか」
TON「なーるほど」
昨日、横浜のOさんがみえた。
奥様ご同伴でしばらくぶりだった。
一見するとどちらの若住職ですかと伺いたくなる好青年だ。
お父様を失うことを契機にご自分の家の宗教を学び始めた。
今は、ご夫婦で浄土真宗の学びを怠らない。
お父様が亡くなるまでは、
先祖供養なんて考えたこともなかったと聞く。
だから、お葬儀やその後の法要、菩提寺との付き合い方などなど慌てた。
いっさい白紙の状態だったからである。
そんなご自分の状況を話したとき、菩提寺の住職に
「知らないからよい」
と教えてもらったと言う。
知らないことがよいという意味ではない。
余計な知恵にそまっていないからまっすぐに
法を理解しやすいという意味なのだ。
人は比較しやすい。
比較するのが人間のよさでもアリ、堕落の初めでもある。
だから、赤子が親を絶対的に信じて飲み込むように
法を飲み込む時期が大事なのだロウと思う。
最高の回向をしているんだなあ・・・
と思いながら「回向」を思い出させていただいた。