足慣らし
なかなか巡礼に出かけられない。
これは、足を鍛えろとの天のおさとしだろうか。
・・・などと勝手に解釈し
走りこんでおこうとばかりに、
暫くぶりにローラー台を踏んでみた。
これがローラー台
自走式なので、前後の40cm巾のローラーの上に
いつも乗っている自転車を乗せて普通に走る。
前後のローラーどうしはベルトで結ばれていて、
ペダルを踏めば、後輪が回ると同時に前輪も回る。
だから、自転車はこけないでローラーの上を走る。
当然のことだが、止まれば転ぶ。
脱輪すれば、足はペダルに縛り付けているから
もろにひっくり返る。
後輪を固定したマシンもあるけれど、
バランス感覚が要求されるのでこちらのほうが
実走の感覚で走れる。
しかし乗り始めは、以外に勇気がいる。
今日30年ぶりに乗ったことになる。
壁に手をついたまま二三回ペダルを回したら
さっとハンドルに両手を移す。
ふらつくこともなく昨日の練習の続きのように
すっと乗れた。
「へ~~」
自分で驚く。
両手離しこそしなかったけれど、なんの戸惑いもない。
一挙に30年の空白が消え去った感がする。
一度身についたものは、しっかりと体が覚えているものだ。
余計な考えは、やたらに持たないことも大事だ。
悟らされた気がした。
父の日
父の日と聞いてふと思い出した。
僕の人生に母の日はあっても父の日が意識にのぼったことはない。
生まれて数年で先に逝ってしまった父はアルバムの中の空想の人。
仏壇=父であって、
何ら実態の伴わない存在でしかなかったが共にいた。
不思議と子供時代から、その仏壇のある小部屋、
といっても半畳の盲腸のような出窓部屋が
僕と父とを結ぶ唯一の空間だった。
どこの家でもやっていたことだが、
季節の初物やもらい物はまず仏壇に備えた。
なぜそうするかなど考えもしなかったが習慣だった。
そのうち盲腸部屋は、おやつを食べるのも、
マンガ本を読むのも、勉強をする時も、
内緒の宝物を隠すための秘密基地ともなっていった。
そのうち布団を持ち込んで・・・半畳にどう寝たのか思い出せないが、
ガサガサ小虫(ゴキブリ)の音も気にせずそこで寝た。
僕にとって、そこが我が家の仏間であり精神安定剤だった。
結局は、僕が「気が付こうと気付くまいと」、
歴然と父の懐で育てられ、心の状態も保たれてきたのだと今にして思うのだ。
今年は、ちょっとはよい線香をあげようか・・・