どう生きるか

1年で10年肉体が衰えるという難病のカナダの少女アシュリーさんが18歳の誕生日を目前に亡くなられた。と、今朝の情報番組で知った。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00153634.html

何度かテレビでドキュメントが流されたりして話題をそのつど示すこともあったが、めまぐるしい今の世の中、記憶に残ることは少ない。
しかしそんなこととは関係なく、本人もそして母親を含む回りの人間も現在進行形で、難病と闘っておられたのだなあと、今さらながら感ずるのである。

彼女の持つ難病はプロジェリアといい、800万人に一人という、遺伝子レベルでの難病のようであり、まだ根本原因も治療法も突き止められていない。

彼女と同じ病を持つアメリカの友人ジョン君(故人)は、レポーターの質問に、
「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない」と話した。
また、アシュリーさんも「死ぬことは覚悟している」とも。

心を打たれた。

記念品になるか・・・

横断旗としてせっかく装飾用に作ったのだけれど、いざ現場で作業してみると、うまく設置できないのがわかった。残念。

しかたない。今年は、当日の来場者の方への記念品になるか・・・

今日。

昨夜の雨・・・恐ろしかった。

雨に一喜一憂したのは久しぶり。
だって、神事をお願いしていたこともあり、室内の神事なんて何となく場違いを感じる。やはり現場でお祓いをしてもらいたいもの。

朝、3時に目が覚めてしまう。
もう雨音は聞こえなかったからちょっと安心。
朝のランの時間にはそれこそ写真を撮りたくなるような流れる雲が見られた。

これなら快晴間違いなし。暑くなるぞ。

案の定、午前中は初夏を思わせる気候に午後からの神事に安堵の念を持った。

現場による。
またぎ提灯は早朝から架けていた。

午後になるとにわかに掻き曇る。
僕の雨の神様が騒いでしまったか・・・
正直な気持ち。

けれど、またぎ提灯下での神事は心の中で、ちょっとしたけじめのつもりがあった。

というのも、この一之宮商店会の名前の由来である「一之宮」は、「土師中知」(はじのなかとも・まなかち)を顕す表現であり、この名を聞いてお!そうかと合点のいく人はそうとうな浅草通か観音様の信者かと思うのだ。
土師中知がいなければ浅草寺ももしかしたら存在しなかったかもしれないのである。
なぜなら、川中から拾い上げた金色に輝く不思議なものを観音と理解し、尊い観音様であると鑑定した張本人であり、本尊とし居宅に奉安し、自ら法衣をまとう事となった、第一功労者であり、浅草寺の出発点なのである。

が、その末裔が明治の初年まで住まいとしていた場所が、ここ一之宮商店会の場所なのであって、集まった仲間も何らかの縁あってここにいるのだ。その不思議さも感じつつ同時に、その威徳を偲び、心新たにしたいと思っての神事だったのである。であるのだから、雨は降らないと確信したのである。

案の定、真っ黒い雲は沸いたが、南の風に吹き飛ばされて、時間になると暑くもなく寒くもない、アウトドアーに最高の天候となったのでる。

また木があがる


うちの商店会(雷門一之宮商店会)、初のまた木があがりました。
まだ骨組みだけど、明日にはちょうちんもちゃんと入り、三社さま(浅草神社)から神主さんがみえて、お祓いをしていただく。
それで生きた、また木になるというものなのだ。

白髭橋2


なかなかの雰囲気がある。
トラスとアーチのコンビネーションが何ともいえない力強さを表現して見える。

白髭橋

東京は帝都というだけあってここらしい重奏な橋が多いなあ。
よく見ると(この角度からは初めて見る)随分古い形態をとっている。

隅田川は、橋梁の博物館というのがよく解る。
どれひとつとして同じものがないのだから。