今はまだ他のビルに隠れるような存在だけれど、もうすぐ自己主張をするようになるんだろうなあ。
浅草のそら
たいぶ見えてきました
何が?
て?
スカイツリーです。
雷門通りから真正面にアサヒビール本社ビルと墨田区役所を臨み、
その間に挟まれるようにスカイツリーの工事現場が見える。
徐々に確実に2週間で1ブロックずつ立ち上がっているようだ。
この3倍強の高さになるのだから、軽く両方のビルの背を抜いてしまう。
ここからの景色も変わってきた。
理解できない
浅草を思い浮かべた時、人は何を連想するだろう。
昭和モダン。エノケンやビートたけし、渥美清、欽ちゃんを排出した喜劇やエンターテナーの町。飲み屋街。商人の町。斜陽の町(さすがにもうこのイメージはなくなったと思うけど)。花柳界。スカイツリーの見える町・・・
僕には寺町の浅草が唯一無二のすがたに見える。
商売柄というより、郷土史にのめりこむのが好きだからなのかもしれない。
郷土を愛するってよく言われることだが、どうしたら愛せるようになるんだろうか。
愛するためにはまず「知る」ことだろうと思っている。
そんな動機が発端で土地の歴史を調べる。調べると興味が湧く。興味が湧くからますます調べたくなって自分との関わりが見えてくる。
ひょんなことから浅草発展の基となった土師中知(はじのなかとも)の屋敷跡が町内にあることを知って調べ上げた。
地元で聞いても屋敷跡が明治初期まであったことをだあれも知らない。そもそも土師中知と聞いてピンとこない人も多い。
これじゃあ・・・ 次世代に伝えられないよ。
せめて説明板でも立てておかないと完全に埋没されてしまう。
そんな思いから区の教育委員会に打診してみた。
電話ではけんもほろろに予算がないからと断られた。
粘った。
友人も出かけて説明してきてくれた。
数ヶ月してじゃあ伺いますとアポイントを受けた。
ようやくまともな話ができると喜んだ。
当日は二名の担当者に来訪いただけた。
待ってましたとばかりに今までの資料を渡そうとするが受け取るそぶりを見せない。
あれ?っと違和感を感じた。
説明をしても意に介さない態度。おかしいな。
もしかしたら・・・
的中した。
次に出た言葉は、「看板を出すのは難しいですね」
「歴史的跡地というけれど、なにも残っていないじゃないか」というのが理由らしい。
「予算もないし」二言目にはこれだ。
「じゃあこちらでつけますから、教育委員会の名を入れていいですね」
というと、それも困るという。
「じゃあどこまでやってくださるのですか」と聞くと、
「監修することはします」
「じゃあ名前を出してもよいのではないですか」と聞くとダメだという。
質問を変えた。
「浅草の発展の基はどこにあると思いますか」
と聞くとはっきりとは答えない。「観音様を最初にお祀りした土師中知でしょ」ここまで出かかった。
「形あるものが何かあるなら別だが、それのないものには指定は難しいの一点張り。
指定をかけろといっているのではない。そういう浅草発展の基を築いたお方の建造物があったと残しておきたいのだ。
またさらに質問を変えて、
「浅草の歴史を調べ蔵書を何冊も出されているA氏の説に対してはどう思われますか」
と浅草の歴史はこの方(故人)の右に出る者はいないA氏の名を出し聞いてみることにした」
「あれはA氏の一説です。私はそうは思わない」
なんだ・・・自分で異説を唱えているから首を立てに降らないのか。
しかも、「土師中知が実在した人間かもわからない」とまで言い出す始末。
状況証拠は、江戸期の古図にも、明治初期の沽券図にもはっきり顕されているというのに、しかもそのことを地元も忘れ去られてしまっていて、伝えられてきていない。
浅草発祥の基になった恩人を地元も知らないというのだから。
それを絶やしてはいけないと僕は考えるのだけれど、
手をこまねいていれば、歴史は全く埋没されてしまうではないか。
どうも意見が合わない。
辟易した。いったんお帰りいただいた。
文化行政っていったいなんだろう。首をかしげた。
浅草のそら
想えば逢える
大阪のMさんに誘われて、のこのこ家族の法要の席に参加させていただいたのがきっかけでお会いするきっかけをいただいたネイティブアメリカンのCさん。
縁とは不思議なもので・・・(いや、不思議と思うのは、我々人間の目で見るから不思議なだけで、当然なことなのだが)
すでに浅草の店には過去にいらしてくださっていた。
数時間のワークショップのような講演のようなひとときの時間で自然という概念を改めさせられた。
それから数ヶ月、お礼の手紙をを出さなくちゃと思いつつも忙しさに流された。
申し訳ないという思いと、またお会いできそうな気持ちの両天秤でいるうちに昨日、見覚えのある顔が目の前に立っておられた。
使い込まれたジーンズの上下に長髪を後ろに束ねたとび色の瞳の方が目の前にいる。
そうCさんだった。
懐かしそうな眼に時の隔たりを忘れた。
語る側と受講者なのだから、記憶に残るには難しいはずなのに、意思の疎通はすでに完了していた。
野生動物の保護に誠を込めて頑張っているが、彼女の活動を理解できない者も多いと話す。動物の命をいただいて生き残る人間の性はせめて感謝と誠の心をもっていただくべきだという彼女の意思にもろ手を挙げて同意する。
日本人の本来の心にもそんな自然を畏怖する素朴な心は存在した。
国が高度成長する中でどこかに置き去りにされてしまった命の問題。
原日本人の心をアメリカインディアンの彼女から教えられるのだ。
浅草のそら
すっきりした快晴。
「そら、そら」と書いているとお客様の子供さんの名前といつもだぶる。
そら君はどうしているかな・・・
浅草のそら