なんだこれは
浅草のそら
雷門前の近未来
つい最近、最期のからくり時計の時の演奏が終わり若干寂しくなった雷門前は、今、違う音で賑わしい。
からくり時計を設置していた本体、つまり観光センターの3階建てのビルを建て替えて、新しい浅草の顔に収まろうとしている。
そのため朝から建て替え工事の槌音・・・といっても重機で建物を壊す音で喧騒としている。
決して竜巻で、町屋が吹き飛んできて重なり合ったわけではありません。
新しい浅草の顔です。
う~~んと思うところもあるけれど・・・ね。
なんで寺町らしい落ち着きのあるデザインじゃダメなのかな・・・
浅草のそら
ローソクです
焼酎二階堂とワンカップ大関
いづれも、おさけ…ならぬローソクにござる。
故人の好きだったものをという遊び心からの商品ということになるのかな。
「んなら、本物でもよくな~い・・・」
とな。
ムムム・・・
あとで呑めるし・・・だって?
ところで仏前に差し上げたものって香りや味が変わるのをご存知だろうか。
お下がりをいただくと、時間が経っていないのに香りも味も弱くなる。
あくまで僕の経験である。
子供の頃、父親の仏前に毎日お供えをして、母親の目をかすめてよく食べた。
それでもお下がりといえばお下がりだ。
ただ、正式な手続きを踏んではいなかったのだが・・・
隠れて食べるのはちょっとしたスリルとダレよりも口にする楽しみが倍増してどことなく美味しい。
でも仏前のお下がりを口にすると
なんて味が薄いんだろぉ。
小豆の匂いがしないなぁ。
不思議だった。
でもおやつに出されるおはぎは香りも味も濃厚だった。
まさか仏前に供えるものと、子供に出すものとを別けてつくれるほど母は器用ではない。
それでも盗み食いするたびに臭わない果物、おかずを隠れて食った。
「仏様はね、香りを食べるんだよ」
「だから初物を、まずさしあげなさいというのだ」
ずーーーーとあとで耳にした。
深くうなずいたのは、えらいお坊さんの言葉だっただけではなかったと思う。
中ゴムです
「もうくたびれました」
ゴムが悲鳴をあげて僕に訴えかけてきた。
「がんばったね」
ぽろんと泣いた。
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら