オニキス+ルチール
浅草のそら
比較
「人の庭は青く見える」
とはよく言ったものだ。
「隣のお家は仲良かったのにねぇ」
「あのご夫婦がねぇ」
「あそこのご主人、子煩悩だったのにねぇ」
「~ったのにねぇ」
は、つまり、「何も知らなかったのよ」の裏返しなのだと思う。
つまりは、何も知らないのだ。
人のことは、どこまで行っても解らないのだ。
「解せない」
自分のことすら理解に苦しむことがあるんだから、他の人のこと、家の中など解りようがないのだと思う。
それをわかっているつもりでいる所に、人の不幸が生まれる。
小学生時代の僕の成績はすこぶる悪かった。
全く欲がなかったし、どこか宙を飛んでいる子供だったから、つかみどころがなかったのだろう。
小学校一年生の時「あなたの息子はどうしようもない」
仕事を休んで始めて行ってくれた面談で担任は、母親に対してくそみそに伝えた(ようだ)。
こんなこと言われたと終生(まだ健在だが)母の憤りは続いた。
比べて姉は在学中優等生を通した。
僕は常に比較の材料だった。
よく見れば秀才と言われる岳のことはしていたのだ。
コツコツ勉強をやり続けているのだから。
僕はと言えば、好きなことをさんざん遊びほうけていた。
その結果は、学期末になればみごとに顕れる。
つまらないことなのだが、
ただ、比較され続けたというこの呪縛は、少年の心にある種の種を植えるものなのだ。
一事が万事そういう事なのだと思う。
だから比較してはいけない。
ただ残念なるかな、人は比較できる動物であるしそれを原動力にもできる動物なのだ。
結局、比較することでどうするかなんだよな。
よき方向に向かえば、その差を挽回しようと大いなる力になろうというもの。
負の力、劣等感という力におのれの位置を見失い、踏み外したれば、世の不幸、災禍の種となるのは火を見るよりもあきらかだ。
さて、ぼくはどっちだったんだろう・・・
つい・・・
昼を買いに行こうとすると、通りになにやら止まっている。
この間から町中を走っていた缶を背負ったミニクーパー。
その車の周りになにやら人垣が・・・
覗き込んでみると、キャンペーンガールのお姉ちゃんたちが、
ニコニコ愛想を振りまきながら、天使の羽がはえる清涼飲料水を配っている。
こんなチャンスはない。
何の躊躇もなしに、「一本ちょうだい」
手を出していた。
まあ、大阪のオバちゃんだと一本と言わず・・・だろうとは思う。が・・・
これでも僕なりに図うずしくなったのだ。
残念ながら羽は生えてこなかったが、御陰様に熱中症にはならずにすんだ。
また来ないかなぁ・・・
浅草のそら
ミニ三鈷と独鈷
2100円と2625円
浅草のそら