ここまで・・・
お店に出す商品は、極力自分が実験台になって様子を見たり、何より気に入ったものを選んで後に店頭に並ぶ。
つい気に入りすぎて、手ばなせなくなって並ばないものもあるのは困った傾向だと言えるのではあるが・・・
本当は経年変化を調べてから。という気持ちもあるのだがなかなかそこまで追いつけない。
その点、お客様はありがたい。
特に念珠は僕の専門でもあって、数年先に必ずお直しにいらっしゃる。
戻ってきた念珠をみると、たまに見るも無残な姿に変貌してしまったものもあるのだが、老いてなお闊達に頑張っている念珠を見るとき、なんとも言えない喜びが湧くことは以前から何度か書いてきた。
今日おみえになったお客様に依頼されて直した心経入りの腕輪念珠は、木としては硬い白檀材なれど、すでに変形していた。
磨耗による変形だ。
彫文字の芯はその輪郭部が立ってその周りは凹む。
○玉だったはずが五角形にも六角形にもなっていたりと実にユニークに変化する。
その変化が、お客様との縁の深さのような錯覚を覚える。
作りながら不思議な気持ちにさせられるのだ。
浅草のそら
ミニかつま
面白いなあ
シールです。
浅草のそら
紫水晶二点
菊
TONは、昆虫図鑑の大好きな少年だった。
あせもの攻勢に辟易しながらも、昆虫の溢れ帰る夏は大好きだった。
いつ頃からだろうか・・・
タガメやゲンゴロウに出会う機会もなくなったが、身近なものでしいて言えばクワガタやカブトムシさえも、今はゴキブリと同類項に見える。
好きと言う範疇から除外された。
今はあのかわいいカナブンさえあえて手を伸ばしたい衝動はどこかに消えた。
そうした思いに反比例するように、草木に愛でる気持ちが強くなった。
歳を重ねるたびにその度合いは強くなる。
これはどうしたことだろうか。
毎月の写経会に会員さんが用意する仏前の供花は、その後は僕の管理するところとなる。
洋花と和花が取り混ぜになって花立に収まり本尊前を荘厳してくれる。
花たちは日ごと枯れていく。
命あるものである以上仕方のないことなのだが、仲間が減っていくようで寂しいものだ。
まず洋花が消える根から切り離された洋花は朽ちるのが早い。水中にあってもドライフラワーになるのもいる。
が、和花は強い。
菊。
特に真夏、35℃を超える猛暑日の続く夏。
これほど厳しい環境にさえ。
水が腐ろうが、大輪を咲かせてなを頑張っている。
感動する。
つまらないほど小さなことなのだが、日々の中で感動を覚えるTONのだ。
浅草のそら