下谷神社から雷門へお寺はいくつ?

台東区役所へ用事で出かけた帰り道、はたと思った。

雷門まで何ケ寺あるのだろう。
何度往復したかわからないこのルート。
時間のない中ゆえに数えるだけとおもいつつもせっかくだからと写真も撮ることにした。ただしいつものルートだから、表通りに面しているお寺は抜きということで。

まずは下谷神社。考えるとすでにここからルールを破っていたことに気づかず。

永昌寺
朝日山願成院永昌寺浄土宗

明治15年に嘉納治五郎がこの寺院の境内に柔道場「講道館」を設立した。

とありますね。

永禄元年(1558)

肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基となり、寺名に由来している。

とも記録されてます。

蓮城寺
常光山蓮城寺 日蓮宗


花がきれいだったなぁ。
寛永15年11月開基

万年山祝言寺
 曹洞宗


山門をくぐったら別世界だった・・・
よく掃き清められていてさすがに禅宗だ・・・
太田道灌建立の寺なのだそうだ。

天文20年太田道灌建立。開山良山在久大和尚

行安寺
寿福山経寿院行安寺浄土宗

もともとは慶長9年3月神田柳町に創建された。正保2年当地へ移転。

東京本願寺
正式には「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」

徳本寺
浄土真宗東本願寺派

店にいるとよく道を聞かれる徳本寺。

徳本寺にある文化財
絹本着色本多正信像・同夫人像各1幅(日本国重要文化財)
木像阿弥陀如来立像(東京都有形文化財)
佐野善左衛門政言の墓
宋紫石の墓

三河国に創建され、檀家本多正信に請われ江戸神田に移転、明暦の大火後当地へ移転しました

長敬寺
真宗大谷派

西光寺

玉圓寺

東光寺

清光寺
 浄土宗

旧仁丹塔の斜め後ろくらいに位置する。
商店街に入り口をふさがれる形になっているので、入りにくい。

国際通りを越えると、もう雷門まで寺は一ケ字もない。

途中、墓所を通りに向けている寺院も5、6ケ寺あったけどそれはカウントしなかった。

やはり浅草には寺院が多いな・・・

また、他の通りの時も記録していこう。

玉を通すということ

小さい玉を108玉糸に通す。

片手なら22玉27玉35玉ということになるし、新作なら糸をつないでいちいち一玉ずつ糸に入れるなんてしないで手を省くことが多い。

でも、最近は持ち込まれた玉。特にパワーストーン屋さんで入手された玉をもたれる方が増えて、その他までの製作が昔では考えられないくらい増えた。
宝石関係の玉の作りはそもそも念珠つまり法具としての念珠玉とは作り方そのものが違う。

だからどうしても、一玉一玉糸の先を撚りによって尖らせて丁寧に丁寧に通さないと思うように仕上がってくれないし、玉割れの原因も作ることになってしまう。

手間が恐ろしいほどかかる。

玉を通しているといろいろ考える機会を与えてくれる。

土木の技術者だった頃はよもやこんな小さいことをやるようになると頭の隅にもなかった。
土木でもコンマ何ミリ単位を要求される仕事はいくらでもある。セグメントを何百何千と連ねていく工事なんて、セグメント一つに1mmの誤差でもあれば1000つなげば1000mmつまり1mの誤差になる。トンネル工事や橋梁工事、今人気のスカイツリーなんてどれほど繊細さが必要とされているか・・・

眼に見えないところで神経をすり減らしている技術者がいるんだよね。
グロスな工事なんて何処にもない。

そう考えてみると念珠作りも似たところが大いにあることに気づく。

完璧に玉を作っておかないと108つないだらどうなる。

恐ろしいことだ。

目の前の一つの行為に全神経を集中し完璧に仕上て次につなげる。

それを積み重ねる。

だからおもしろい。

トルマリン片手にへんしーん

持ち込まれたトルマリンブレス。
3Aグレードの7.4mmものとAグレードの7.1mm


最近は7mm以上の玉でスカッとしたものはなかなか見当たらないしあってもバカ高い。
うちでもついにトルマリンだけのページはなくなく閉鎖してしまったのだ(もちろん数は少ないけれどちゃぁんと持っていますよ)けれど、いい玉を見ると・・・やはりいい。

ただ、微妙に大きさが違うのをどう処理しようかと思う。

で、考えあぐねて、こうなりました。


あまり大きさの違いは目立たないと思うのですが。
中ゴムが赤色のものが通っていたのですが、白を通すとトルマリンらしい清々しさが表現されます。

こういうシースルーの多色の玉にはかえって、白の方が石の清さが引き出される気がする。

さてこれから梵天房の取り付け。

人絹房の最期

正絹でも人絹でも始めのうちはわからない。

最近の人絹房は、とてもよくできているから手触りの良さからあまり気にしない。

でも・・・・
雨にあたったり使い込んでいくうち化けの皮がはがれる。
水のあたった方はどんどん縮みだす。
手触りがこわくなる。
形が崩れる。

そして、
最期はこうなっちゃうのです。

だからと言って人絹房が悪いと言うのではないのです。
あくまでも使いようだというお話しなのです。