玉を通すということ

小さい玉を108玉糸に通す。

片手なら22玉27玉35玉ということになるし、新作なら糸をつないでいちいち一玉ずつ糸に入れるなんてしないで手を省くことが多い。

でも、最近は持ち込まれた玉。特にパワーストーン屋さんで入手された玉をもたれる方が増えて、その他までの製作が昔では考えられないくらい増えた。
宝石関係の玉の作りはそもそも念珠つまり法具としての念珠玉とは作り方そのものが違う。

だからどうしても、一玉一玉糸の先を撚りによって尖らせて丁寧に丁寧に通さないと思うように仕上がってくれないし、玉割れの原因も作ることになってしまう。

手間が恐ろしいほどかかる。

玉を通しているといろいろ考える機会を与えてくれる。

土木の技術者だった頃はよもやこんな小さいことをやるようになると頭の隅にもなかった。
土木でもコンマ何ミリ単位を要求される仕事はいくらでもある。セグメントを何百何千と連ねていく工事なんて、セグメント一つに1mmの誤差でもあれば1000つなげば1000mmつまり1mの誤差になる。トンネル工事や橋梁工事、今人気のスカイツリーなんてどれほど繊細さが必要とされているか・・・

眼に見えないところで神経をすり減らしている技術者がいるんだよね。
グロスな工事なんて何処にもない。

そう考えてみると念珠作りも似たところが大いにあることに気づく。

完璧に玉を作っておかないと108つないだらどうなる。

恐ろしいことだ。

目の前の一つの行為に全神経を集中し完璧に仕上て次につなげる。

それを積み重ねる。

だからおもしろい。