駒数を減らしてベリルを挟み込むようにしました。
駒数を減らしてベリルを挟み込むようにしました。
何が文化的価値化ということなんだけれど。
浅草には、オヤッと思うビューポイントがそこら中に転がっている。
先端を行くスカイツリーばかりがビューポイントではない。
足早に通過してしまうにはなんとももったいない。
TONは最近(でもないのだが・・・)東武浅草駅、またの名を松屋浅草店とも呼びますがこの建物と隅田川を渡る東武橋そして業平橋までの高架に魅せられているのです。
そもそも墨田川に架かる橋梁は関東大震災後の復興事業で架けかえられたものが多く、見るからに頑丈そうなそれでいて、流麗なアールを多用している仕上がりになんとも虜にさせられます。
昭和6年5月25日に業平橋~浅草雷門(現浅草)間1.1km(花川戸線)が開通している。この浅草延長の際に新設された浅草駅ビルは久野節設計によるアールデコ建築で当時東京で屈指の繁華街であった浅草に花を添えると共に正面エントランスに設置されたエスカレータは関東地方で最初に設置されたものであった。
昭和の対戦前に架けられた橋と言うことだし業平橋駅からの高架部分もそんな時代を映しているわけですね。
この写真は、駅ビル北口の江戸通りからの絵。
見ると大きな煙突がすくっと立っている。
今まで全く気にならなかった。
その下部の建物本体とのなんとも言えない合わせ技。いいなあ・・・
早くこの外装に貼り付けているシマシマの着ぐるみを剥がしていただいて、駅ビル創業当時のモダンな姿に還していただけないものか・・・
実に実に夢見るTONなのであります。
町で発見。
ほ~~~~。
トマトのにおいもする・・・
これから念珠に直します。
僕のお客様にもうかれ四半世紀をはるかに超える方がいる。
ほぼ友といっても良いのではないのかなとも思うのだが。
あまりにも自然体のお付き合いとなっている。
定期的に顔を見せにいらしてくれるし、決まった商品を同じ量だけお付き合いしてくれる。
だから、お客様の肩書きはいつまでも大事にしたい。
来られると昔話になる。
と言っても、二人ともそんな歳ではないので、趣味の話となる。
実は、彼とは共通の趣味を持つ。
彼は大学時代に自転車レースをやっていた。
社会に出て、仕事に追いまくられ多少遠のいたようだが、仕事を早期退職をし趣味を生かし、古い自転車を組んだりする優雅な生活を送っているようだ。
僕は僕でレースもやっていたけれど、ツーリング派で特にパスハンティング(峠越え)が趣味だった。
同じ趣味を持つとさらに垣根を越えてしまう。
気付くとため口になっていたりするから、多少は自戒しながらブレーキを踏むことにしている。
新しい年となり、暫く振りに来訪された。
いつもどおり定石をおいたあと、何がひらめいたのか知らないが、大学時代のアルバイトの話に及んだ。
彼のバイトはもちろん趣味を生かした自転車屋でのバイト。
スポーツサイクルの専門店で頻繁に出入りしているうちに店員以上の腕を磨いた。
週の半分も学業と平行しながら働いたという。
「あれ?」っと突然思った。
話題になっていた自転車屋は、僕も実はいりびだっていた一人だったのだ。
「何年生の時?」
「じゃあ昭和○○年だよね」
「・・・・・・・!!」
「逢っている!」
そういえば、あのころ店員が二人いて一人は恐そうで話さなかったよ。
記憶がみるみる蘇ってきた。
ほんの数ヶ月のことなのだけれど、確かにその店で起きた出来事の共通する記憶を所有している。
35年前の話し。
今の今まで気付かずにいた。
これも縁かな。
ちょっとほかの事に黄を向けている隙にアンテナ部分が7こま目まで伸びました。
こんな感じであっという間に完成してしまうんだろうな。