浅草のそら
二尊仏周辺
江戸初期の武士、久米平内を祀った久米平内堂
九州の牢人、久米平内(兵藤とも言われる)が江戸に出て道場を開いた。
剣の道にて犯してきた罪状を悔い、浅草寺塔頭金剛院にて座禅にはげんだ。本人の希望で身代わり像を浅草寺参道に埋め多くの参拝者に踏まされことで、地獄の災禍から逃れるとした罪状消滅を願った。
いつか「踏みつけ」が「文つけ」に転じ願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平和地蔵尊
先の戦災で亡くなった人たちの霊を慰め、また世界平和を祈念して
昭和24年に龍郷定雄氏が私財を投じ、浅草寺の協力を得て建立されました。
実はこの一角に念珠堂も出店計画があったのです。
以前と比べると格段に店も多くなり通りが良くなりました。
二尊仏のまん前なのですから、TONといたしましては、もっともっとお参りの人が多くてもよいと思うのですが。
浅草のそら
境内ぶらり
毎月一日の朝は浅草寺の掃除会。
冬の空は広くて清々しい。
浅草寺境内も子と細かく見ていくと神様のデパートなんて言葉が出てくるくらい、1400年の歴史のなか、官に主ねいての寺でなかっただけに、民衆の心の下支えになってきた寺として様々な神様仏様が勧請されて境内に鎮座ましましている。
残念ながら明治の神仏分離令によって権現社は隣の浅草神社に合祀されたり、消滅してしまってはいるが。
境内からのスカイツリーの眺め。
御東さんの御灯明と呼ばれた京都タワーのような洒落たあだ名が生まれるとヨイのですが、景観を削ぐものと邪魔者扱いされる向きもあり、どう評価されますやら・・・
チタン瓦が葺き終わり綺麗なお屋根。
昔の姿も趣きがあって捨てがたいけれど、重量が五分の一まで軽くなったというから、防災の観点からは必要なことなのだろう。
宝光山大行院
天台宗
浅草寺境内と隣接しているので間違えやすいのですが、法人としては別です。