ムクロジュの実に穴をあけ水晶仕立てにしました。
ムクロジュの実に穴をあけ水晶仕立てにしました。
ブレーキ不備の自転車、摘発件数が急増http://www.news24.jp/articles/2011/09/30/07191687.html
以前もブログで、にわかサイクリストの横暴を書いた記憶がある。
なんちゃってピスト(ピスト:競輪場で使う競技用自転車:ブレーキは前後ともついていない)。
ぼくはそう呼んでいる。
道路交通法が変わったのかと、久々に走り出したロートルサイクリストは驚いた。
公道を走る以上、自転車も最低限度の装置が必要なのだ。
例えば、
ブレーキは前後2個のブレーキが装着されていること。
ライトがついていること。
警笛が装着されていること。
リフレクターがついていること。etc.
しばらくぶりに自転車を乗り始めたら、やたらと目に付くのが、ピストのフレームで町乗りの自転車に改造しているサイケな車。
前ブレーキだけ装着していればよいほうで、中には前後外しているのもいる。
もちろん警笛もライトもない。
夜道など後ろからこられたら、フリーのラチェット音のしない固定ギアのピストでは、用心深いTONでもひかれてしまうかも。
昼間かっこよく走っていればまだ可愛いが、信号も守らず、縦横無尽に疾走している姿は、哀れさすら感じる奔放さをもつ。そんなに足に自信があるなら、箱根の山を越えておいでと。
恰好悪いぜ!
やっと摘発され始めたかと言う感じ。
ピストにブレーキをつけないのは、競輪場で協議中、ブレーキによる接触事故を起こさないため後ろのギアを固定しているのだ。
競技場を出れば自宅までの道のりには、仮ブレーキをつけて帰ったものだ。
それでも自分の過失が、競技をしている他のサイクリストに対しての責任を感じ、サイクリスト全般の質を疑われるような事がないように、迷惑をかけない様にと注意していた記憶がある。
ついでに言えば、
自転車を分解して袋につめ電車やバスで距離を稼ぐ「輪行」についても考えてしまう。
輪行という行為も同じ理屈で、いつも気をつけていた。
今は、無料ですいすいと改札口を通過していく。
久しぶりに輪行をしたときに、あれ!と驚いた。
当時(30年前頃)は、自転車は300円の手回り品切符を買って、手回り品扱いで、「特例」としてサイクリング協会員(競輪選手と)のみに輪行は許されていた。
もし乗客とのトラブルや事故があれば輪行という行為そのものが消滅される運命を常に抱えている時代だっただけに、サイクリスト一人一人の行動には常に責任感と自負がついて回っていた記憶がある。
最近のなんでもOK的風潮に、無軌道な人間によるモラル低下はサイクリング人気にも影を落とすのではと危惧を覚えるTONなのだ。
八月の終わりごろに来店されてブータン布製手作り経本の話をして行かれたラグーナ出版の方から小包便が届いた。
新しい商材との出会いということもあったけれど、精神科医に通う患者さんによる患者さんのための出版社と聞いていただけに、興味津々だった。
取引条件のお手紙だけかと思っていたのだが(見本本を1冊くらいはとは期待していたけど)、こんなに送っていただいた。
ありがたく頂戴し、昼休みに目を通してみた。
「綜合失調症」02年までは精神分裂病と呼ばれていた精神疾患である。
精神病の分野は遠い世界に感じていた。
いただいた本を読んでいると、まださわりしか読んでいないが、全国に31万人超の患者数があって行き場のない7万人の患者数が入院していることを知った。
人口の0.7%に及ぶ。
足を踏み入れられない世界と思ってのは無知からくるものだった。
実は心の表裏のようなもので、綱渡り的に正常?通常に見えるだけなのかもしれないとさえ思えてきてしまうのだ。
せっかくの御縁だもの。
もっとよく研究してみようと思わせてくれた。
本翡翠の12mm玉の三色での製作です。
男性にはもう一玉親玉を足さないといけないでしょうね。
緑は、実に濃い色あいです。
さあ、これは何でしょう?
はがきのようですが・・・・・?
ちょっと厚みがありますね・・・・?
なんだろう・・・・・?
ではではそうっと・・・・開けてみましょう。
びよ~~~ん。
なんと!飛び出す絵葉書でした。
雷門と富士山と新宿副都心とアサヒビールと東京タワーと新東京タワー。
が、飛び出して見えます。
観光のお客様の多い浅草ですから・・・・
こういうのもいいでしょ(^^;
海外の人はこういう風景があると思うかな・・・・
としたら・・・・雷門がどでかいゾ。
12mmの象牙をただ通しただけなのですが、素材の温かみで救われます。
象牙はずいぶん取り扱いましたが、本当にいい素材だと思います。
身内に不幸があって熊本に出かけることとなった。
ちょうど台風15号の通過と重なって、空の便は欠航、新幹線も折り返し運転だという。
友引があって一日ずれるだろうから、それでも2日しか猶予がない。
ちょうど一ヶ月前にも入院していた身内を見舞いに出かけたばかり。
東京ー熊本約1200Km。
店を長期にわたりあけるわけに行かないし、時速100kmで12時間。+α。
それがボクのいつもの移動パターンとなる。
さすがに疲れた。もう車はこれで最後にしよう。
今度行く時は飛行機。
そう決めていた。
が、人生は考えているようにはうまくかない。
アテニしていたのに飛ばないんだもの。
ブルートレインもないし・・・・
遠くに住んでいると、こういう場合にどうしようもなく困る。
上さんを何とか親族との別離に行かせてやりたいし、
そこで再び車での長距離ドライブと言うことになった。
途中通行止めも覚悟で出発。
厚木を過ぎるとすぐに現象となって顕れた。
事故による通行止め。
予告なしで止まった。3時間。
急に解かれた。またその先で事故。今度は1時間半。
さらに進むと災害による通行止め。復旧見込み無し。
さすがに高速を降りた。
降りたら降りたで迂回ルートがまた身動きできない。
0時に高速に入ったのに沼津で再び高速に入った時には、お昼になった。
まだ90kmそこそこ。まだこの12倍の距離を移動しないといけない。
通夜当日というのに・・・・
亡くなった母親が来なくていいよと言っているのかと思うほど、次から次に難題を吹っかけられる感じだった。
それでもその先は、睡魔との葛藤に勝利して、何事もなく無事0時過ぎに目的地に到着できた。
お釈迦様は生きるというテーマを掘り下げられた。28歳の時に。
そこに苦を見いだし、人の過分なる欲を原因としさらに抜苦の道筋を悟るに至ったわけだ。
人の心の問題として事象に対する捉え方。
生、老、病、死、の四苦
怨憎会苦や怨憎会苦などの四苦を含めた八苦。
考えると、まさしくこれらのことに振り回されているのが自分だなといまさらながら実感してくる。
でもね、生老病死の四苦って、若いときにはあまり実感がわかなかった。
基本的過ぎて。
わかったようで骨身に沁みて・・・というか、自然に心が沸いてという間隔には程遠かったわけです。
むしろ怨憎会苦や愛別離苦や五陰盛苦と言った、心のそこから沸きいずるものの、打ち消しがたいものへの苦悶が背中合わせだった気がする。
年齢も関係してくるもなのかな。
60歳を前にして、身内の病や死をもってしてようやく教えられるとは。
お釈迦様の感受性の鋭さを今更ながら驚愕するTONなのであります。