お念珠は・・・
切れるのが仕事。
極論だろうか・・・・
中糸が切れたお念珠を直しに店に持ち込まれるお客様はとても多い。
日々仏前で精進されていらっしゃる証しとして玉の擦れ合う位置で切れる。
四六時中腕にあってお守り通していただいている腕輪念珠はさらに汗、雨、紫外線、場合によってはシャワーやお風呂などなど諸条件の中で働き尽くめでいつか中糸はくたくたになる。
中糸の天命は全うされる。
石玉や木玉の心を探ることができたらきっと、
「時々は英気を養いたいなあ」「気を入れなおして欲しいな」と思っているだろうなぁ。
しかし、中には「糸が切れた縁起が悪い」と捨ててしまうお方もいらっしゃるということを聞いたことがある。驚いた。
切れない念珠があるとしたら、いつかあなたの手が切れる。
中には「どこを探しても見つからないの」
と懸命に探してくれる方もいる。
それは・・・きっと今は姿を見せたくないのだと思う。
厄を持ってどこかに行ってくれたんだなとも思う。
念珠を創り始めた頃、念珠を制作する前に先輩に仏前にお祈りして制作に入る人がいた。どことなく清楚だった。よいことと思い自分も真似した。「この念珠を持つ方が幸せになりますように」と。
始めのころは意識しながら気を入れて作っていた。
最近は若干弛んでいる。
でも、意識もしなくても、気づくとそんな心持になりながら作っている。
念珠は、思って作るのではなく、思わされながら作らされるのだ。と思う。
そういう表現が一番的確な気がする。