浅草のそら


浅草は快晴です。
北風が、極極寒いです。
フリーザー状態からいつ開放されるかな・・・

いろいろありますよ

いろんな大きさが集まりました。

もう一種類ありますが、こうして並べてみると、一長一短ですね。

そのまま懐中仏でいいものもあるし、

お財布にはるようなものも、

応用してストラップに化けるかも知れません。

イメージが膨らみます。

ときどき迷うこと・・・

時々自分が何屋さんだか解らなくなる時がある。

念珠屋であり、お香屋であり、仏具屋であり、お土産もの屋であり・・・・
お客様も「今、お香屋さんにいるからね」だの「あそこの数珠屋よ」とか「駅前のみやげ物屋」とか、名称を言い当てるのにいろいろ迷われる。(^^;

本職は仏壇屋のはずなのだけれど、念珠創りの専門から始まったので石も木も実も何もかも興味が尽きない。
組成を調べるだけでも楽しくてならないものだから、材料だらけになってしまった。念珠の素材だけでもどこにもひけをとらない素材は集めた。
さらに前は、お墓の設計もしていたし・・・もともと土木方面の技術屋だったからお墓の整理も難しいものではないし・・・

自分でやってみないと気のすまない性分に生まれてしまったもので、なぜそうなっているのか、どういうからくりになっているのか、分解してみない時がすまないという厄介な星があるようで、興味がそのまま仕事になってしまった。

念珠創りだけしていればよいと思うのだけど、頼まれると断れない性格も相まって、宝飾の製作まで手を染めるのだ。

ま、これは簡単な部類ですが・・・・、

喜寿と塗香

昨日のお客様、77歳喜寿のお祝いのお返しにと、塗香(ずこう)と塗香入れを十数人分お求めいただいた。

商品を選ぶにも「見えないので手に触らせて」と初めて全盲であることに気づかされるほど若々しく、足元もしっかりされていた。

商品を包装している間、こんなエピソードを聞かせてくれた。

「以前殿方に塗香を差し上げたら、とても喜んでくれたのよ。
いい香りだと言ってずっとポケットに入れてくださっていた。

同じものを何人かの若い女性にお見せしたけど、「なにカレーみたいな匂い!」って毛嫌いされたの」と笑いながらも日本文化の衰退にやや危機を感じ気を落とされていた。

「眼が見えないってことはいいこともあるわ」
片目の僕には奇異に感じ聞き返した。

「眼が見えないと自分の老いた姿を見ることもないし、耳が眼の代わりになってくれて相手の心が読めるようになったのよね。人間の体って凄いと思ったわ」

さらにこうも付け加えてくれた。
「全盲のお友達が道案内してくれるのよ。そこ危ないよ。もうすぐ右に曲がるよ。とかね。どうして解るのかしらと思うけど、にわかめくらの私には解らない五感をお持ちなのよね」

と、微笑みながら応えてくれた。

僕は、(いえ。あなたの心はもっとすばらしいですよ)
と心の中で応えていた。