柘材の不動明王。
小さいけれど精密彫りです。
柘材の不動明王。
小さいけれど精密彫りです。
108玉の本連仕様での腕輪はだいぶ前から製作はしているのですが、あまり表立って販売はしてきませんでした。
自分がしていいと思うものしか販売に至ってなかったこともあります。
最近この需要がふえてきています。
ということで、これは真言仕立の柘腕輪。
下りもちゃんと付いています。当たり前ですが・・・
腕輪と考えず、6寸(通常念珠は最小が8寸までです)の本連の念珠と考えることができますね。
ただ、中糸がゴム糸というだけです。
と言うことは・・・・
いざと言う時はこれで充分用をたせるということでしょうか。
念珠を作っていると、イメージがどんどん膨らんでいって、完成品もいろいろ派生していく。
これもそのひとつ。
お得意さんのNさんのご依頼で、仏教の経典にある七宝にそって作れないものかとのこと。
ただし・・・その場でイメージを膨らましつつ手が勝手に作るのを自分で傍観している。
誕生石入りでもある
こちらは暮れに製作した七宝ストラップ。
まあ・・・
似たようなものと言えば似たようなものだけど・・・
瓢箪を下げ手入るみたいでしょ(^^;
十一面観音経。
お客様からのご依頼で、急きょ探しまわった。
訓読の経典はあるのだけれど、真読(漢字読み)の経典が見つからないから探して欲しい・・・・と。
聖天さまを信仰しているのかと思いつつも、調べてみると・・・
これが案外厄介だった。
「読み下し文(訓読)でしか十一面観音経はつかいませんよって」
どこの版元もすげない返事。
ようやく一軒だけ見つけることができた。
「在庫ありません。いつ作るかわかりまへん」
とまあこんな様子でまったりした答えしか返ってこない。
相手は急いでいるのだからとかき集めてもらってなんとか事なきを得た。
でも、しかし、つい先日も同じような心持をした記憶がまだ消えていない。
大日経を探しておられたお客様のご依頼で、探したことがあった。
しかし、空手で終った。
金剛頂経も大日経も同じ状況で、大事な経典にもかかわらず廃盤の憂き目に会っているのだ。
「今は読まないから」
なのであった。
はからずも手元に大日経の住心品だけは自分の勉強と思って昔とっておいたものがあったので、その版元から入庫できたが、風前の灯である。
在家経典の一般本があれば、極力版は減らす傾向にあるのだろう。
版元の気持ちも解るにはわかる。
けれど、それでいいのかな・・・
ちょっとばかり疑念が生まれてしまうのだ。
メジャーではないが、必要とする人がいる。
釈迦の言葉を探す人がいる。
しかも以前は確かにあったのだ。
効率と言うことの前に、大事な救いの「言」が消えてしまうことなのではと、言い過ぎというならば、必要とする人の目から隠れていってしまうことなのだ。
TONにはちょっと解せない。
正直な気持ちである。
バラ貴石の平板を紅水晶みかん玉の定番に挟んでみました。
あれ?いいんじゃないの・・・・
いいのができると楽しくなります。
インカローズのハートをひとつポイントに入れてみました。
なかなかですよ。